暑さも次第に和らぎ、すっかり秋に様変わり。旬の農産物の収穫も本格的に始まった。
中でも、そばは大晦日の年越しそばをはじめ、国民に広く愛されているが、東日本と西日本では、その愛情に温度差があるという。
「“東のそば、西のうどん”と称されるように、東日本はそば文化、西日本はうどん文化が根強いと言われています。実際、そばチェーン店の出店エリアを見ても、東京では駅前でよく見かける『名代 富士そば』は西日本に店舗を出していませんし、都民なら馴染みの深い『ゆで太郎』も数店舗のみの出店にとどまっています。東に比べて、西はそばを食べる習慣が乏しいんです」(フードジャーナリスト)
西ではそば屋が見当たらない……そんな声も聞こえてくるが、それは本当なのだろうか。
そば研究家として数々のメディアに出演している片山虎之介氏は、西日本のそば屋事情について、こう分析する。
「西日本にも、そば屋は、たくさんあります。そば屋はドライブインのように国道沿いにあるわけではなく、町中の生活圏の路地などにひっそりと存在していることが多いので、目にとまりにくいのかもしれません」
むしろ、西日本のほうが関東よりも面白いそば屋が多いという。
「関東では“江戸そば”という文化が縛りになっていて、そば屋が何か変わったことをすると、邪道だと批判されてしまいます。それでなかなか大胆なことが、できないのですが、西日本はそういう縛りがないため、自由に大胆なことをしています。そばは、非常に懐の深い食べ物なので、いろいろなバリエーションが可能になります。そういうところが、西日本のそば屋の魅力だと思います」(前同)
寒冷な東日本の気候は、そばの栽培に適し、温暖な地域の多い西日本は、うどんの原料となる小麦が育ちやすい。そんな気候の違いが、東西の食文化の差に繋がったとの見方もあるが、
「関係ないと思います。埼玉県はうどん県ですし、秋田県の稲庭うどんも、素晴らしいです。反対に、そばでは出雲、九州の例もありますし、そもそも、ソバという植物は、最初は大陸から九州に渡来して、そこから日本全国に広がっていったものです。九州には、今でも、最高レベルのソバを産するそば処があります」(同)
■江戸で生まれた新たなそば文化
そんな奥深いそばだが、歴史を紐解くと、もともとは“禁じられた食べ物”だったという。
「昔は、作るのに手間がかかるため、一般の人々が食べる料理ではなく、大切なお客様をもてなす“ご馳走”だったんです。一般の農民は、日常食としてそばを食べることもありましたが、それはそばがきのような、手軽に調理できる食べ方でした。加えて、“農民はそばを食べてはいけない”と、お上から言われていたため、東北には、そばのことを“はっと(ご法度)”と呼ぶ地域もあります」(同)
このように、もともと“おもてなし料理”だったそばだが、江戸時代になると、その食べ方にも変化が生まれていった。
「江戸が栄えていくと、日本全土から人が訪れるようになりました。そうなると、外食産業が必要になります。そこで大阪発の老舗そば屋である“砂場そば”の職人たちが、江戸に進出。原価を抑えて手間を省き、お客の回転を上げて利潤を追求する、 “おもてなしのそば”ではない、“商売”としてのそばが生まれていったんです」(同)
もともと、おもてなし文化だったために、中には、そば屋が高いというイメージを持つ人がいるのかもしれない。ちなみに、関東と関西では、その味に違いがあるという。
「使用している醤油が、違います。関西は淡口醤油が中心で、関東は濃口醤油が中心です。醤油が違うと出汁も異なります。関東のほうが、江戸時代から続く“外食”としてのそば文化が根付いていますが、関西も代々続く本格的なお店も多いので、関東のそば屋とは違った味を楽しめると思います」(同)
ちなみに、実は淡口醤油のほうが塩分量は2~3%多い。減塩を理由に濃口醤油を敬遠している人は覚えておこう。
季節は秋の行楽シーズン。旅行をした際には、西と東の味の違いを楽しみながら、その歴史の歩みに想いを馳せてみてはいかがだろうか。
片山虎之介(かたやま・とらのすけ)
そば研究家。『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)や『チコちゃんに叱られる!』(NHK)など、数々のメディアに出演。日本蕎麦保存会を設立し、日本そばの食文化を守るべく、さまざまな活動を行っている。