昭和の時代、民家や店舗の壁など街の至る所に貼られていた看板。“ホーロー看板“と呼ばれるこうした看板は、今でも地方に行くと忘れ去られたように貼られている。
「アルミなどの金属にガラス製の釉薬を塗って焼き付けた光沢のある材質が特徴です。似たようなものとしてブリキ製の看板もありますが、今でも地方に行くと、たまに見かけることがありますよね」(タウン誌編集者)
大塚製薬の『オロナミンC』や大塚食品の『ボンカレー』などの看板を街中で目にしたことがある人も多いのではないだろうか。
「紙のポスターとは違い、一度貼ってしまえば剥がさないかぎりはずっと宣伝できるのがホーロー看板の強みです。
その歴史は古く、明治時代から作られてきました。戦後に入ると、テレビに出ている有名人を看板に起用して自社製品を宣伝するという手法がメジャーになりましたね」(前同)
こう話すのは、『懐かしのホーロー看板―広告から見える明治・大正・昭和』(祥伝社)などの著書もあり、広告媒体コレクターとして知られる佐溝力氏だ。
ホーロー看板がメジャーな宣伝ツールとして機能していたのは事実で、大手メーカーも次々と印象的な看板を作り掲示した。サントリー、ヨコハマタイヤ、カルピス、仁丹、ムヒ……など、日本人の生活と切り離せない商品の多くが街中でホーロー看板を使って喧伝されていたのだ。
しかし、こうしたホーロー看板は、現在はそのほとんどがボロボロに。現在では宣伝効果があるようには到底、思えないが、なぜ貼られたままなのか。
「昔はいい加減でしたからね。“ちょっと貼らせてくれませんか?”という感じで民家にお願いすることも多かった。看板を貼るギャラの代わりにタオル1本を渡したりしてね(笑)。セールスマンが問屋さんとかに行くついでに、お得意さんのところに貼らせてもらうようなこともありましたし」(佐溝氏)
中にはホーロー看板を貼る専門業者もいたのだそうだ。
「そういう人たちは何百枚も貼らなくちゃいけないものだから、横着して何枚か重ねて貼ったりするようなケースもありました」(前同)
老朽化した看板がいつまでも撤去されないのは、そんな専門業者が今はなくなってしまったことも理由の一つだろう。企業側としても、これだけ無尽蔵に拡散されたら、どこに貼られているかも把握できていないはず。看板を撤去しようにもそもそもその所在が分からないというケースが大半だろう。今も地方で見かける昭和レトロな風景は、こうして残されているのだ。