■ホーロー看板は時代の写し鏡

 そんなホーロー看板の中には、商品の宣伝をするためだけでなく、企業や店舗の電話番号を載せたものも多く存在したが、これらの企業の中には、今では聞いたこともない社名もある。 

 いったいこれらの企業は今、どうなっているのか。

「金融系の会社、つまり金貸し業者のものがホーロー看板には多かったですね。その代表格は電話担保金融の『マルフク』ですね。一時は340営業所を抱えるほどの栄華を誇った金融業者でした」(前出のタウン誌編集者)

 電話担保金融とは、固定電話の電話加入権を担保に資金の貸し付けをする貸金業のことだ。

「携帯電話の普及によって固定電話を引く人が減少し、70年代は8万円にものぼった電話加入権も2005年には3万6000円まで下落。こうしたビジネススキーム自体が崩壊しました」(前同)

 02年に『マルフク』は電話担保金融の事業から撤退。“生活キャッシング・振込ローン”事業で再出発を計るも、09年には貸金業登録も廃業となってしまった。

 同じ金融系の看板では、なべおさみの笑顔が眩しい『ワイド』も有名だが、こちらもすでに事業は停止している。

 その一方で、現存する会社もある。

「紺と赤の太文字の看板がインパクト絶大だった音楽教室の『新堀ギター』は、今も神奈川県を中心に関東で教室を構えているほか、系列の専門学校や、関東以外にものれん分けのギター教室があります」(同)

 産業構造の変化も相まって徐々に姿を消していった金属とブリキの看板たち──。耐久性に優れているがゆえに、錆びて変色してもはがれない……そんな様子には哀愁すら感じられる。

 前出の佐溝氏が言う。

「ホーロー看板というのは時代の写し鏡みたいな部分があるんです。社会の世相とか大衆の趣向がダイレクトに反映されますから。独特の味わいがあるので、ホーロー看板に魅了される人は今でも多いですよ」

 街中で見かけたら、その背景に想いを馳せるのも一興かもしれない。

佐溝力(さみぞ・ちから)
1946年、愛知県豊橋市生まれ。小学生の頃からさまざまな収集を始める。昭和38年より自転車・徒歩・ヒッチハイクなどで、その後はトラック運転手として全国を廻る。昭和50年頃からホーロー看板集めを開始し、平成6年、蒲郡市立図書館にてコレクションを用いた「明治・大正・昭和時代のホーロー看板」展を開催。NHK-BS番組『熱中時代』に出演するなど、ホーロー看板収集家として各方面で活躍中。豊川市に設立した「琺瑯看板研究所」では、40年にわたって収集した2万点に及ぶホーロー看板や広告資料を展示している。著書に『三河の広告』(春夏秋冬叢書)、『懐かしのホーロー看板‐広告から見える明治・大正・昭和』(祥伝社)。共著に『日本ホーロー看板広告大図鑑: サミゾチカラ・コレクションの世界』(国書刊行会)などがある。