ついに、大阪湾の埋め立て地・夢洲で、4月13日から『大阪・関西万博(EXPO2025)』が開催された。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、10月13日まで184日のイベントとなる予定だ。

 初日はあいにくの雨だったが、開催を記念し、人気の歌い手・Adoによるオープニングスペシャルライブが会場内の屋外スペースで行われるなど、大きな話題を呼んだが、1970年3月15日に日本で初めて開かれた日本万国博覧会その内容はどうだったのかを振り返りたい。

「人類の進歩」と並ぶ万博のテーマ「調和」では世界中から「人」が集まり、「友好」というムードが生まれた。

 当時、中学生だったラサール石井氏も万博に通った少年のひとりだった。

「公式パンフレットを買い、各国パビリオンの麗しき外国人コンパニオン(当時は「ホステス」と呼んだ)にサインをもらって回っていました(笑)。

 また、なぜか大阪の子供たちは外国人とすれ違うときは、“This is a pen”と英語で話しかけ、相手も優しく応じてくれていましたね」(石井氏)

 異文化との「調和」では「食」もそう。

 当時11歳で、会場(大阪府吹田市)の近くに住んでいたシンガーソングライターの嘉門タツオ氏も、こう話す。

「一番の思い出はアメリカンドック。会場内の屋台で初めて食べ、“こんなおいしいものが、この世にあるのか!”って。衣のついたソーセージに甘辛いケチャップマスタードがかかっていて……。本当に衝撃的で、万博に行くたびに食べていましたよ」

 また、ニュージーランド館では、新鮮なパイナップルが無料で食べられた。

「当時、パイナップルといえば輪切りのシロップ漬けの缶詰だったので、加工前の新鮮なパイナップルを食べられるのが珍しかった」(前同)

「愛」をパビリオンテーマに掲げたワコール・リッカーミシン館では、土・日に日米のカップルら国籍を超えた“万国結婚式”が催された。そこが一番のお気に入りのパビリオンだったと、前出の石井氏は感慨深げに言う。

「館内では愛をテーマにしたフィルムが流れ、全裸の女性の映像が見られたんです。中学生には刺激が強すぎました(笑)」

 もちろん、お父サンたちにも人気のパビリオン。当時の資料写真を見ると、入場者のほとんどが男性だったような……。

「70年万博は攻めた内容の展示が多く、刺激的でしたね。日本社会が右肩上がりで、“何でもアリ”という勢いがあったからでしょうね」(前同)

 55年の時を経て『EXPO2025』に受け継がれた技術がある。70年の万博の際、サンヨー館に展示された人間洗濯機だ。

 当時、話題になったものの、実用化されず、そのリベンジの意味を込め、今回、“ミライ人間洗濯機”として、大阪ヘルスケアパビリオンに出展される。

 はたして、今回の万博は盛り上がるのか。『こちら歴史探偵事務所! 史実調査うけたまわります』(五月書房)などの著者で知られる、歴史作家の跡部蛮氏が語る。

「1970年の万博も開会前は、関西だけのイベントだといわれ、全国的にはまるで盛り上がりませんでした。ところが、来場した人からの口コミなどもあって、世紀の祭典になっていったんです」

 石井氏がこう締めくくる。

「なんだかんだいって、始まれば行くと思いますよ。だって僕らは、“万博”と名が付くものには行かないと気がすまない“万博大好き世代”なので。やるからには、期待に応えてほしいですね」

 輝かしい過去の万博もあったなか、いよいよ開会した『EXPO2025』。人類はバラ色の未来に近づいたのか。

ラサール石井
らさーるいしい 1955年、大阪府出身。お笑いタレント、俳優、演出家、コラムニスト。1977年から渡辺正行、小宮孝泰と『コント赤信号』として活動。現在はさまざまな分野で活動している。

嘉門タツオ
かもんたつお 1959年、大阪府出身。1981年より音楽活動を開始。コミックソングや替え歌でお茶の間の人気者に。2017年、芸名を嘉門達夫から現在のものに改名。