■「ずっと続けること」24年前に明かしていた国分太一の夢
TOKIOの解散発表を受け、
《大好きなTOKIOが解散しちゃたよ また5人で歌ってもらいたかった。今までありがとうございました》
《TOKIO解散 事務所廃業 一夜明けて更に悲しくなってきた》
《コンサート行ったな あの時 長瀬さんも山口さんもいたな be ambitiousなんて皆んなで歌ったな》
《TOKIOの松岡、記憶の中では一度も問題起こしてないはずだから本当に今回の件でTOKIO解散させられたの気の毒でしかない。マジで国分酷い》
などの声がXには多数寄せられている。
「グループの解散はリーダーの城島さんと松岡さんが話し合って決め、国分さんに伝えたとされます。ただ、解散の原因となった当の国分さんはかつて、ずっとグループ活動を続けたい、と言っていたんですよね……」(前出の女性誌編集者)
2001年8月の雑誌『ポポロ』(麻布台出版社)の「TOKIO座談会」で、国分は“今後の夢”を聞かれ際、メンバーを代表して《ずっと続けること。バンドって解散することが当たり前のように思われてるけど、海外にはローリング・ストーンズみたいに、ずっと活動を続けてるバンドがいる。僕らにも、それができればいいんじゃないかな》と語っていた。
「同記事には、『夢は解散しないこと。ストーンズみたいにね』というタイトルがついていましたね。24年前に国分さんが、グループの解散はせず、ずっと続けたいという夢を語った一方で、松岡さんは同インタビューで現在にも通じるブレない発言をしていました」(前同)
松岡は《どの世界にしてもみんなそうだと思うんだけど、自分が自分でいられなくなったら、もうその場を立ち去ったほうがいいんだと思う。それで新しい自分の居場所を見つければいいんだよ》と話していた。
「松岡さんは、山口さんが不祥事を起こした際の会見でも、冷静かつ突き放したようにも思える発言をしていましたが、今回、コンプラ違反が発覚した国分さんに対しても相当に思うところがあったのではないでしょうか」(同)
2018年5月、山口が未成年女性に無理やりキスをしたとして強制わいせつ容疑で書類送検された際、松岡は謝罪会見で《「TOKIOに戻りたい、TOKIOという帰る場所がある」。もしそういう気持ちが彼の中にあり、その甘えの根源がTOKIOにあるなら、あくまで自分の意見ですが、そんなTOKIOなら1日も早くなくしたほうがいいと思う》と語っていた。
「山口さんの不祥事発覚の4年前、2014年9月の『週刊プレイボーイ』(集英社)でも松岡さんは、《TOKIOの場合、この先、30周年、40周年迎えられたらいいなとは思うけど、ただ惰性で続けても仕方ない。これは芸能界じゃなくて、普通の社会でも同じでしょ》と語っていましたからね。
グループが甘えの場になってはいけない、惰性で存在するのではいけない――松岡さんの考え方、姿勢はずっと一貫しているんです。解散は城島さんと松岡さんが決めたことだといいますが、その決断の背景には24年前から変わることない松岡さんの信念があったのではないでしょうか」(同)
山口と長瀬の脱退、そして国分のコンプラ違反でついに解散に至ったTOKIO――『鉄腕DASH』は継続する見込みだというが、城島、松岡の今後番組でどのような活動をしていくのだろうか。そして、国分の今後は……。