■「みんな音楽がやりたい」山口達也が語ったTOKIOの音楽
山口氏のTOKIO脱退から1年3か月――2019年8月発売の『女性セブン』(小学館)に、退所後初となる山口氏の独白が掲載され、退所後の生活、TOKIOへの思いなどについて明かしたことが話題を呼んだ。
その中にはTOKIOの音楽に関する発言もあり、山口氏は自分以外でもTOKIOの音は出せるとし、TOKIOの音楽はプロデューサーの長瀬を中心に楽曲を制作してきたと振り返った。そして、長瀬の「こうしたいんだ」という要望に他のメンバーは合わせてきたとした。
そのうえで《なんでいい年したTOKIOがいまだにジャニーズにいるのか? 長瀬も太一も松岡も城島も、みんな音楽がやりたいからなんですよ》《音楽ができなくて困っているTOKIOは見たくない》と語っていた。
「山口さんに続き、メインボーカルでプロデューサーを兼任していた長瀬さんも脱退。3人になって、それまで以上に音楽活動をすることは現実的ではなくなってしまい、そして今回起きてしまった国分さんの重大なコンプライアンス違反行為で、ついには解散ですからね。
19年8月の『女性セブン』の独白の現場では、山口さんは涙を流し、時には嗚咽するような場面もあったといいます。その時の彼の告白はとてもリアルに感じられますが、その中の《みんな音楽がやりたい》という言葉は重いですよね。
あらためて振り返ってみると、今回のことが起きたきっかけはやはり、山口さんが不祥事を起こし、離脱したことだったのではないかと。5人をつなぎとめていたのは音楽で、山口さんが不祥事を起こして脱退したことで、つなぎとめていたものがなくなってしまった、音楽ができなくなってしまった。それにより長瀬さんも離脱……。
残った城島さん、国分さん、松岡さんの3人は音楽以外のこと、『鉄腕DASH』や株式会社TOKIOでの活動を頑張ってきましたが、そこには音楽で強くつながっていた“TOKIOの絆”はなかったのかもしれませんね。そして、2025年6月25日、解散の日を迎えることになってしまったと……」(前出の芸能プロ関係者)
TOKIO解散――山口氏が脱退・退所した18年5月6日――約2600日前からそれは始まっていたのかもしれない。