■“フジのドン”だった日枝久氏は3度にわたる出演オファーを固辞

 Xには、

《フジテレビの黒歴史として、日枝久、港浩一、大多亮を断罪したのが昨日のフジテレビの検証番組の功績であった》
《訴訟を予告されている港浩一と大多亮がしょぼくれた顔で出演。自業自得とはいえ、残酷な画だったと思うよ》
《何か問題発生して有耶無耶にする企業よりよっぽどマシかな。なかなか自分の問題に向き合うことできないし》

 などの声が上がっている。また、

《フジテレビの検証番組で最高にフジテレビっぽいなーと思ったのは「アナウンサーは上質なキャバ嬢」(大多亮)だなあ。つくられてきた過去番組からして本心なんだろうなって》
《あと港浩一氏を選ばれし女性社員たちが囲む秘密の会、本当に気持ち悪かった》
《編成幹部氏を筆頭とする大多さんの部下たちは、大多さんのこの言葉を「忠実に守り、実践して」、中居正広さん問題が起きた…そうだよね?》

 など、あらためて両氏や両氏が作ってきた“風土”への厳しい声も寄せられている。

「港氏や大多氏をはじめとするフジテレビ内で出世してきた人たちの考え方や振る舞いを実践し、今回の大騒動のきっかけを作ったとされる編成幹部B氏も、女子アナを接待要員として駆り出し、結果的に中居氏とAさんのトラブルにつながっていったのではないでしょうか。

 検証番組ではフジテレビの社内風土を醸成していった根源とされる日枝久元取締役相談役(87)が40年にわたって権力を握っていた背景についても追及していましたね」(前出の広告代理店関係者)

 日枝氏は1961年にフジテレビ入社し、報道や広報の仕事を経て、編成局長に就任。「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチコピーを打ち出し、視聴率年間3冠王を獲得するなどの功績を残した。

 直属の部下として働いてきた遠藤龍之介元副会長(69)は「豪放磊落というのがすごくピッタリ。頼りになるチームリーダーというか、そういう感じでした」と振り返り、1988年に日枝氏が社長に就任した際には「誰であっても企業を私物化してはいけない。会社が自分の意思1つですべて動くものと錯覚し、グループ全体を自分の所有物であるかのように考えたとき、企業の私物化が始まります」と語っていたとも明かした。

 遠藤氏は、1月27日に行なわれた10時間に及ぶ記者会見の前日には日枝氏と面会し、辞任を迫っていたとも告白。「あなたが辞めていただかないと収束しないんじゃないか」と説得したものの、日枝氏から「辞めない。お前は戦わないで辞めるのか」と言われたという。

「検証番組も日枝氏に3回にわたって取材を申し込んだそうですが、応じなかったといいます。社長就任時に“誰であっても企業を私物化してはいけない”と言っていた日枝氏が、40年にわたってフジテレビの役員や局長の人事を掌握。港氏や大多氏がインタビューに応じるなか、“諸悪の根源”とも言える日枝氏は応じず。

 その日枝氏の現在の“本性”とも言えそうな言動を側近だった遠藤氏が暴露したことについても評価する声が寄せられています。

 ただ、検証番組の前半は第三者委員会の調査報告書をなぞっただけと言われても仕方がないような内容でしたし、SNS、ネットには厳しい声が寄せられていますよね」(前同)

 検証番組を見た視聴者からはXに、

《フジの検証番組、「取材しました」じゃなくて「内部で再度確認しました」「外部の調査委員会の報告を経て、改めて内部監査を実施しました」とかの表現が適当なんじゃないかな》
《(※日枝氏は》取材に応じてくれませんでした、じゃねーよw 自宅に突撃すればいいだけ。いつもやってんのに身内にはなぜやらない?舐めてんのか?》
《フジテレビの検証番組。予想通り中居くん一人に押しつける展開でしたね》

 など、厳しい声が多く寄せられている。

「放送前日の5日に、中居氏側は再度、第三者委員会の調査報告への“反論”と要求を出しています。検証番組は放送されましたが、今後もこの問題は長く続いていきそうです」(同)

 株主総会と検証番組を経ても、“フジテレビ再生への道”はまだまだ険しいものがあるようだ――。