■悲劇を悲劇として描かない
「過去を変えることは、タイムパラドクス的に無理です。そもそも、純子(可合)の死を避けようとすると、渚(仲)が生まれてこない可能性があるし、市郎(阿部)の《死がマイナスなんじゃなく、大人になった渚に会えたことがプラスなんだ》というセリフから見ても、2人はこのまま、その日を迎えるのではないでしょうか。
ただ、必ずしもそれは悲劇ではないかもしれません。NHK朝ドラ『あまちゃん』でも、東日本大震災をありきたりな悲劇にせず、復興を目指す姿が描かれていました。クドカン脚本では悲劇や死は日常とワンセットで描かれる傾向があります。最終盤は純子と市郎のドタバタな日常が描かれ、感動こそすれ、号泣ドラマにはならないでしょう」(ドラマライター/ヤマカワ)
長瀬智也(45)が主演した『俺の家の話』(TBS系)でも、最終回では死んだ寿一(長瀬)と父の寿三郎(西田敏行/76)とのやりとりが、淡々と描かれた。あのテイストに近いのだろう。
市郎は、9年後の純子と自分の死を知りつつ、運命を受け入れて日々を生きることを決めたのだろう。これまでのクドカン脚本をさらに超える、感動的な終盤になりそうだ。