■被災者がなすびさんを前に口にした「忘れ去られる恐怖」

 被災者とボランティア――。「立場は違えどお互いを思いやるコミュニケーションあるからこそ、ボランティア活動を10年以上全国各地で続けられてきた」と語るなすびさん。観光大使に就任した石川県では、8月までに月1〜2回のペースでボランティア活動に参加していたそうだ。現地の復興状況を前出のなすびさんは、どのように捉えているのか。

「今年の3月に石川県の最北部、沿岸沿いの奥能登へ行った際には軽トラックで沢の水を運んで生活水として利用していました。それが翌月には、上下水道が復旧していたり、片道車線だった道路が両車線使える様になったりと、大きく改善している部分があるのは事実です。

 ただ、仮設住宅で暮らす方の中には“周りが知らない人ばかりで”と新しい環境に戸惑いを見せる方々も少なくないと聞きます」(なすびさん)

 また、住民の中には“忘れ去られる恐怖”を口にする人も少なくないそうだ。

「どうしても震災直後に比べると、テレビや新聞での報道が減るわけです。ただ、被災地では日常生活が取り戻せているわけではない。そういう状況で報道が減ることで“石川県は復興が進んでいると思われているんじゃないか”“世間から忘れられているかもしれない”、そんな孤独や不安を言葉にしている方もいます」(前同)

 そう話した上で、なすびさんはこう締めくくる。

「自分の出身地ではない石川県の観光大使にご指名いただいたのは『電波少年』という番組からの知名度があったかと。自分としてはトラウマになるような企画だった懸賞生活を誇っているわけではないですが、番組のおかげでいまだに多くの方に知っていただけているとも思っています。

 そんな自分が被災地に行くことがどれくらい役に立つのかは分かりません。それでも少しでも被災地の現状を知り、広め、どなたかの役に立つならば、地道に被災地を応援し続けることが僕なりの観光大使としての役目なのかなと思っています」(同)

 番組が放送されたのは四半世紀以上前のこと。大人気番組は放送が終了してもなお、多くの人の生活に影響を与えている。そして、なすびさんは被災地の応援をこれからも続ける――。