1990年代に放送されるや視聴率30%超えを記録、番組を制作した日本テレビ内でも“伝説”として語り継がれているのは『進ぬ!電波少年』だ。その中でも特に人気を集めた企画、タレントのなすびさん(49)が日韓両国を舞台に雑誌の懸賞品だけで生活する『懸賞生活』。40歳以上の人はその顔を知らない人がいないであろうなすびさんが、全国紙の社会面でも大きく取り扱われたのは8月8日のことである。

 今年の1月1日に石川県能登半島を襲った大地震。なすびさんは、ボランティア県内受け入れ開始直後から被災地復興支援活動に携わっている。4月23日には、なすびさんとも親交がある石川県出身のパティシエで『料理の鉄人』(フジテレビ系)などへの出演経験もある辻口博啓氏が、石川県の馳浩知事に届けた義援金寄付にも協力。その際に送ったメッセージ動画がきっかけとなり、石川県観光大使へと就任することになったという。

 石川県観光大使就任時には報道陣の前で「本当に私で良いのか分からないが、助け合う精神で、微力ながら力になれたら」と語ったなすびさん。弊サイトはなすびさんに、全国各地の被災地復興支援活動へと自ら足を運ぶ理由を聞いた。

「各地の被災地に行って、支援活動をするようになったのは2011年に起きた東日本大震災の後からです。父の実家があった福島県いわき市も被災しました。そんな時に若者が福島のためにと立ち上がっているのを見て、“自分もボランティア活動をやってみよう”と思ったんです」(なすびさん)

 なすびさんが故郷の地に足を運んだのは、震災の1か月以上後となる11年4月末のこと。見慣れたはずの景色は一変していたという。

「そこら中に瓦礫が渦高く積まれていて……。本当にボランティアで力になれることがあるのかなって。記憶の中のいわき市と目の前の光景が全く違うことに愕然としましたね」(前同)

 自然の猛威を目の当たりにし、無力さに打ちのめされたなすびさんを奮い立たせたのは、被災地の人々の声だったという。

「生まれ故郷の福島に復興活動に行くと“本当になすび君が来てくれた”“一緒にありがとう”“体大事に頑張って”“テレビで見てたよ”といろいろなお声があって……。本当は助けに行っているはずなのに逆に力を貰うということが度々ありましたね」(同)