■別れの時がきて気づく大切な人

 空豆は、夕陽が落ち行く菜の花畑の絵を描いていた。菜の花畑は、空豆にとって別れの象徴だ。かつて、大好きだった母と最後に見た、海みたいに広がった一面の菜の花畑だ。娘を捨てて、デザイナーになる夢を選んだ母に置き去りにされたことは、空豆にとってつらい思い出であり、自分から離れてしまう人がいると寂しい感情に支配されてしまう。

 幼なじみであり婚約者だった男が別の女性を選んだ時も、暴走して泣いて寂しがっていた。だから、音が出ていくなんて、寂しくて仕方がないのだろう。菜の花畑の絵を描くことで、気持ちの整理をしているように見えた。

 本格的に音楽の仕事がスタートする音と、デザイナーとして走り始めた空豆。霧島連山の花火を見にいく約束も、きっと叶わない未来だ。浴衣を着た2人が芝生に寝転がって、真上に上がる花火を見上げ、そっと手をつなぐ。そんな夏がくることを思い浮かべながら、実際に手をつなぐ2人の距離は、こたつに座る90度から今後も変わることがない。

 音が「変わんないから。離れても、俺たち何も変わんない。俺も、俺たちの関係も」と空豆に言っていたことが、重なることのない2人の未来を告げているだろう。

 音が、実家に帰ろうとしていた空豆に「帰んなよ。いろよ」と熱っぽく伝えたことも、ストールを首に巻いてあげたことも、いい思い出となる。そう、眠っている自分にそっとキスをしたのは、なめくじではなく空豆だったことを知らないまま、離れてしまうのだ。(文・青石 爽)