■視聴者から不安視されている3人の美男子たち

 さらに昭和15年(1940年)1月、親代わりに嵩(北村)の面倒を見て、美術学校進学へ背中も押してくれた心優しき伯父で町医者の寛(竹野内豊/54)が、過労で亡くなっている。

「そんな悲しい話が続くなか、今度は健太郎(高橋)に赤紙が届いたうえ、嵩との“生きてまた会おう”というセリフ……。これを“死亡フラグ”だと受け取る視聴者も多いですね。

 また、これまで健太郎はカレーが好物だったり、柳井家にお呼ばれした際にはカツオのたたきに感動するなど、食いしん坊として描かれてきました。『アンパンマン』のルーツの1つには、やなせさんが戦争で体験した“飢餓”があるため、それを強調する役柄ではと察する向きもあります。食べることが大好きだった健太郎が、戦地でつらすぎる飢えに見舞われるのではないか、と……」(前出の女性誌編集者)

 また、現実にモデルがいる嵩の弟・千尋(中沢元紀/25)、のぶの夫で船の一等航海士の次郎(中島歩/36)にも、心配の声が多く寄せられている。

 嵩の弟・千尋は、法律家を目指す文武両道の好青年。モデルはやなせさんの弟・柳瀬千尋さんだが、千尋さんは昭和19年(1944年)12月に戦死している。千尋さんは当時、駆逐艦呉竹に乗って台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を移動していたが、敵艦の魚雷を受けて呉竹が沈没。広島県呉市上長迫町の呉海軍墓地には、千尋さんほか乗組員の名前が彫られた慰霊碑がある。

 そして、のぶの夫で一等機関士の次郎のモデルは、暢さんの最初の夫で日本郵船勤務の小松総一郎さん。彼は新婚早々に徴兵により召集され、帰還後に病死している。なお、現実では暢さんとやなせさんは幼馴染ではなく、出会いは総一郎さんの死後。昭和21年(1946年)に就職先の高知新聞社で出会い、翌年に結婚した。

 そんな背景もあることから健太郎、千尋、次郎ら3人には、

《寛先生亡きあと、私の癒しは高橋文哉くんにかかっている。友人として嵩を支えてやってくれだから健ちゃんは戦死しないでね》
《健ちゃんフラグ環境整ってる ※予想餓死→そこからアンパンマンの理念が生まれる》
《次郎さん死なないで…》
《これから先、千尋も嵩も戦争に行く。健太郎くんはどうなるのだろうか…》
《来週も戦死ラッシュなのか??見るの怖いよう》
《あんぱんに出てくる優しくて美男で出来る男はすぐに死ぬ…次郎さんが優しくて美男で出来る男だから死なないでほしいのに絶対すぐに死ぬ雰囲気が出ていて悲しい》

 といった、今後を憂慮する声が多く寄せられている。

「やなせさんは実際に地獄のような戦争を経て、“飢えている人に食べ物を差し出す行為だけは、立場や国が違っても絶対的な正義”だと痛感し、それによって『アンパンマン』が生まれました。彼の人生を描くにあたり、戦争を巡る悲劇は避けられません。脚本を手掛ける中園ミホさんも、“戦争をしっかりと描く”と明言しています。

 ドラマですので、史実通りにはならない可能性はあるでしょう。ただ、この先も辛い物語が展開されるであろう『あんぱん』。多くの視聴者が“誰にも死なないでほしい”と強く感じていますが、それが叶うかどうかは……」(前同)

 楽しい幼少期、学生時代は終わり、本格的な戦時下に突入した『あんぱん』。あらためて、日本が戦争をしたことを感じさせる朝ドラになっている。