■ワシが忘れられない長嶋さんとの思い出

 ユニフォームを脱いでからも、忘れられん出来事がある。長嶋さんとテレビで共演したときや。楽屋で長嶋さんに、いきなりお礼を言われて、ビックリや。

「川藤さん、ありがとう!」

 ワシ、なんぞ長嶋さんに感謝されるようなことしたんやろうか……そう思いながら頭をひねってると、

「プロ野球に代打という地位を築くことができたのは、あなたのおかげです」

 と、例のハイテンションでまくしたてるわけや。

「しょせんワシは補欠です。補欠として生き残るために必死でやっただけです」

「過去にも代打で活躍した人はいます。でも、代打に徹し、世間に、その価値を認めさせた、あなたの功績は計り知れません」

 長嶋さんにそこまで言われ、涙が出そうやった。

 長嶋さんが監督になってからは、必ず宮崎キャンプにも取材に行った。あるとき、長嶋さんのマネージャーから電話がかかってきた。

「監督が会いたいそうです。今夜、どうでしょうか」

 断る道理はない。けど、何の用やろうか。ワシに臨時コーチでもしてほしいんやろうか。そんなわけはないな(笑)。じゃあ、今シーズンのタイガースの様子を探りたいんやろか……。

 どれもゲスの勘繰りやった。大広間に案内されると、長嶋さんは開口一番、

「今日は川藤さんと、野球談議をさせてください」

 と、きたからな。

「ワシ、長嶋さんと話せるほどの野球の経験も知識も持ち合わせてません」

「いや、川藤さんは控えで19年間、プロ野球を見てこられた。その感性、その視点が大事なんです」

 そこから話はプロ野球界の現状や将来、さらにメジャーリーグへと多方面に及び、4時間の野球談議になった。阪神の「は」の字も出てこん。ワシの了見の狭さが恥ずかしくなったわ。

 ホンマに素晴らしい大先輩やった。そんな方と同じ時代に野球をし、野球を見続けられたんやから、今は感謝の気持ちしかない。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。