新人野茂を打ち砕いた三冠王

 今ではお祭りムード一色のオールスター戦だが、平成期までは過激な舌戦も繰り広げられていた。

 中でも印象深いのは、90年の第2戦(平和台)での、新人野茂を打ち砕いた三冠王近鉄のルーキー・野茂英雄と、“三冠王”落合博満(中日)による鬼気迫る真剣勝負だ。

「新人ながら前半戦だけで10勝の野茂に対して、落合が“若いのにフォークばかりで、おじん臭い”と口撃。

 前日第1戦(横浜)の9回に巡ってきた初対決では、野茂が全球ストレート勝負で右飛に打ち取る、という伏線もありました」(スポーツ紙デスク)

 しかし第2戦3回表の2打席目では、3ボールからの直球を落合がフルスイング。左翼席へと球は消えた。

「前の回で、中日の同僚で同じく新人の与田剛が清原から被弾。落合は与田に“おまえのMVPはなくなったけど、野茂にもやれないな”と声をかけてから打席に入り、その言葉通りに、野茂を仕留めました」(スポーツ紙デスク)

 96年の第2戦(東京ドーム)では、全パの仰木彬監督が9回2死、打者は巨人の松井秀喜の場面で、イチローをマウンドに送るサプライズ。それに反発したのが全セの野村克也監督だ。

松井秀喜の打席に登板したイチロー(右) 画像/産経ビジュアル

「投手のヤクルト・髙津臣吾を打席に送りました。“ファンが見たいからって、こんなことやってたら権威が下がる。じゃあ、イチローの歌が聞きたいっていったら、歌わせるのか”と激怒しましたね」(スポーツ紙デスク)

 00年代最高の名勝負と言えば、06年第1戦(神宮球場)、阪神・藤川球児が魅みせた西武・カブレラ&日本ハム・小笠原道大との“予告ストレート”対決だろう。

「最終回のマウンドに上がった藤川は、腕を前に突き出し、直球の握りを見せつけたんです。カブレラもニヤリと笑って応戦。息をのむ全球直球勝負は、4球目の内角高め153キロで空振り三振。続く日本ハム・小笠原道大にも、6球すべて直球勝負で連続空振り三振を奪いました」(スポーツ紙デスク)

 この年、ファン投票で選ばれた藤川は、こんな抱負を語っていた。

「“漫画のような世界を創りたい”と言っていたんです。まさに言葉通り」(スポーツ紙デスク)

 第2戦で対戦した清原和博も「今まで18回球宴に出て、一番すごい火の玉ボールが来た」と語った藤川の直球。女房役だった矢野燿大氏は、こう述懐する。

「抑えられたのは球児の力。あの場面ではリードも何もないですよ。印象的なのは、三振を喫した打者がスッキリした顔だったこと。あんな純粋な対決も、やっぱりオールスターだからこそですよね。あそこで捕手が自分じゃなかったら、間違いなく嫉妬していた(笑)」

 矢野氏は、その2年前、04年の第2戦(長野オリンピックスタジアム)でも、名場面の当事者になっている。

「新庄剛志の本盗です。この日お立ち台に立った新庄は“これからはパ・リーグです”と絶叫。この約1か月前、近鉄とオリックスが合併構想の事実を認め、10球団による1リーグ制が現実味を帯びていたときの発言でした」(スポーツ紙デスク) 

再び、矢野氏の談。

「彼とベンチの雰囲気を見て、“仕掛けてくるな”という予感みたいなものがありました」

 マウンドにいたのは、これまた阪神の福原忍。矢野氏が福原に返球する、その間隙を縫って、新庄はホームに猛然と突入する。

「あれが公式戦だったら、僕も返球のタイミングを少し遅らせたりと警戒はしたと思いますが、そこはお祭りですから。

 仮にリクエスト制度があったらアウトだった、と今でも思ったりもしますが、こうして思い出してもらえることを考えたら、セーフでよかったなと思います」

 球界再編問題に揺れたこの04年、近鉄最後の選手会長として東奔西走の最中だった礒部公一氏も、オールスター戦に出場していた。

「6月13日に出た日経新聞による合併報道で、当の僕らも初めて知ったほど、寝耳に水でした」

 オールスターのベンチでは、他球団の選手に“迷惑をおかけします”と頭を下げて回っていたという。

「選手会の総会は例年、出場選手が一堂に会するオールスター戦に合わせて行われていて、あの年も初戦の名古屋で、古田(敦也)さんを中心に、後のストライキのことまで話し合ったばかりでした」(スポーツ紙デスク)

 新庄の「これからはパ」発言は、そんな切迫した状況での論議を踏まえたうえでのことだったのだ。