教科書には載っていない“本当の歴史”──歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 この春、「『古事記』を編纂(へんさん)した太安万侶(おおのやすまろ)の墓誌が国宝に指定される」と話題になった。

 墓誌とは石や金属の板などに死者の名前や官職、没した日付などを刻み、墓の中に副葬したもの。安万侶については一時、架空の人物だとされる時代があっただけに、彼の墓誌が国宝という形でお墨付けを得たことは、ある意味、実在の人物だと認定された形だ。

『古事記』編纂の経緯は、安万侶が女帝の元明天皇にまつった一文(『古事記』に序文として掲載)に詳しく、もともと天武天皇の時代に企画されたが、続く持統天皇、文武天皇の時代に初志を実現することができず、文武天皇の後を受けて即位した元明天皇はこれを遺憾とし、和銅4年(711年)9月18日、安万侶に命じてまとめさせたとある。そうして安万侶が翌年正月28日、三巻の書物として天皇に献上したのだ。

 天武天皇の時代に『古事記』の原案といえるものを書いたのは稗田阿礼(ひえだのあれ)という人物で、おそらく安万侶が元明天皇に命じられたときには没していたとみられる。しかし、書き残した原案はあったはずで、安万侶によってまとめられた。つまり、『古事記』の作者は稗田阿礼で、安万侶は編集者という役割となろう。

 ただし、三巻もの歴史書をわずか4か月で編集したのだから、すご腕の編集者だったといえる。