■仕事も生き方も対照的やすしさんと文珍さん
後日、あるパーティで、やすしさんに会うと、機嫌良さそうに「おう、元気か!」だって。やすしさんのお嬢さんの誕生日に、私がお花をあげたことを喜んでいたんです。見ている分には面白い方でしたけど、やすしさんと一緒に仕事をしたくはなかったですね。数々のトラブルを起こして吉本から契約解除されたやすしさんは、「アルコール性肝硬変」で亡くなりました。
桂文珍さんは頭がいい方で、司会をそつなくこなしていました。優しく「邦ちゃん」と呼んでくれて、物腰が柔らかいんです。ただ、番組に爬虫類が出ると、いつも冷静な文珍さんがセットに上がろうとするほど動揺して。そんなかわいい一面もありました。文珍さんと私は「名コンビ」と呼ばれるようになります。
当時から文珍さんは、好きな飛行機の勉強をよくしていました。現場に無線機を持ち込んで、「これで飛行機に乗ってる人と連絡できるんだ。面白いやろ」と話してくれたり。その後、文珍さん自身も飛行機の操縦資格を持つようになります。
最初は車が好きでしたけど、飛行機にのめり込んで、宇宙にまで興味は広がりました。「ロケットで宇宙に行く権利を買ったんや」と自慢されたこともあります。しかも、当時“美人漫画家”として有名だった里中満智子さんと一緒のロケットだったみたいで大喜び。「ロケットが爆発して死ぬかもしれんけど、里中満智子と一緒なら本望や」と言っていました。
桂文珍さんは2000年頃からテレビの仕事をセーブして、本来の落語に注力。同じ乗り物好きでも、やすしさんと文珍さんでは、まったく違う生き方ですね。
山田邦子(やまだ・くにこ)
1980年、芸能活動開始。81年、デビュー曲「邦子のかわい子ぶりっ子バスガイド編」で有線大賞新人賞受賞。『オレたちひょうきん族』『やまだかつてないテレビ』などで人気になり、多数の冠番組を持つ。2024年10月「日本喜劇人協会 11代新会長」に就任。