■江川のデビュー戦で打ったラインバック

 他にも、多くの優良外国人がやって来た。

 ワシと同じ年に入団したのがカークランドや。一発だけやなく、外野で見せる強肩が大きな魅力やった。他に一緒にプレーしたことがあるのが、アルトマン、ブリーデン、ラインバック、ヒルトン、オルトや。

 この中で一番印象に残っとるのはマイク・ラインバックやろうか。ブリーデンと同じ1976年の入団。ラインバック、田淵さん、掛布、ブリーデンとそろった打線は破壊力抜群やった。

 しかし、春のキャンプでラインバックを初めて見たときは、正直、大外れやと思った。体はカチカチに硬いし、打つ格好もブサイクや。

 フリーバッティングでも、まともに打球が飛ばんし、トスバッティングでさえ空振りする。外野の守備も、お世辞にもうまいとは言えん。こいつが相手なら、ワシかて外野の一角に食い込めると思ったからな。

 ところが、大化けした。当時のバッティングコーチだった山内一弘さんが、マンツーマンで指導したんや。ラインバックも、これに応え、日々、猛練習。そのかいあって、1年目に3割、22本塁打、81打点の好成績を残すことができた。

 しかも、ラインバックはヘッドスライディングやダイビングキャッチといったハッスルプレーで、ファンからも熱い支持を受けた。

 しかも勝負強かった。今でも、巨人の江川卓のデビュー戦で逆転3ランをかっ飛ばした試合を覚えとるファンは、けっこう多い。

 ワシも、あいつとは何度かメシを一緒に食った。プレー同様、真面目で好感の持てる男やったな。

 一方、ブリーデンはメジャーでの実績があるから、かなりプライドが高い。メジャーで12試合しか出場していないラインバックに対しては、横柄な態度で接してたわ。荷物を持たせたり、靴を磨かせたりして、メジャーでの格の違いを日本にまで持ち込んだ。

 結局、ラインバックは日本で5年プレーしてアメリカに帰国。向こうでサラリーマンをしてたようやけど、車を運転してて崖から転落し、帰らぬ人となった。健在やったら、タイガースのOB戦に出てほしい外国人選手の最右翼やで。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。