教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
皇女和宮(かずのみや)〈親子(ちかこ)内親王、静寛院〉は幕末の動乱の犠牲になった悲劇の女性とされる。
孝明天皇に無断で欧米列強諸国と条約を結んだ幕府が世論の批判回避のため、公武合体政策を進め、その象徴として14代将軍徳川家茂の正室として江戸城へ送り込まれたからだ。当時、和宮は有栖川宮と婚約しており、「はるばる(京から江戸へ)参るのは心細く、その心中をお察しください」と固辞していた。
しかし、孝明天皇は幕府を攘夷(じょうい)に踏み切らせるため、和宮の降嫁(こうか/将軍の正室とすること)に同意。和宮に「関東(幕府)との縁談を断っても有栖川宮との縁組はなり難く、それでも拒むなら尼重畳(ちょうじょう)」すなわち「尼になるしかないぞ」といって納得させたのだ。さらに和宮が御所のしきたりを江戸城の大奥へ持ち込んだため、数々の苛めを受ける。
実に悲劇的だが、江戸時代の歴代御台所(みだいどころ/将軍正室)の中で最も幸せな結婚をした女性だったという意外な一面が浮かび上がっている。
夫の家茂は21歳の若さで病没したため、わずか一年半の結婚生活だったが、夫婦仲は睦まじかった。家茂は側室を置かず、仲の良さを象徴する逸話は多い。