相撲界の内情や制度、騒動の行方を、元関脇・貴闘力が現場目線で読み解く。経験者だから語れる、大相撲のリアルが詰まったコラム。

 まだまだ猛暑が続いている。そんな中、オレは新しく栃木県鹿沼市で開く『割烹 力貴庵』の開店準備に追われている。相撲協会をクビになった後、東京都江東区に『焼肉ドラゴ』を開いて15年。来月にはオレも58歳になるけど、新しい「目標」を持つと気合いが湧いてくる。

 藤島部屋時代の後輩、元貴乃花親方も全面的に協力してくれている相撲ミュージアムと『力貴庵』は今秋開店の予定だ。

『焼肉ドラゴ』の本店は江東区清澄にあって、他にも数店舗あるんだけど、かつては、だいぶ手を広げていて、中国・上海にも店があった。そのとき、上海店の店長を務めてもらったのが、先日亡くなられた元関脇・琴富士さんだった。

 192センチ、150キロの日本人離れした体格から、スケールの大きい相撲を取る力士で、オレより3歳上。もともとは部屋の先輩・安芸乃島さん(現・高田川親方)に紹介されたのがキッカケで、巡業などで会話するようになった。

 琴富士さんとは、生涯13回の対戦がある。その中で忘れられないのが、1991年名古屋場所13日目の一番だ。前頭13枚目だった琴富士さんは初日から12連勝。13日目、オレとの相撲に勝てば、平幕優勝が決まるという展開だ。

 このとき、関脇だったオレはすでに勝ち越していたのだが、この大事な一番で、なぜか力が出なかった。長身で懐が深い琴富士さんは、組んだらめっぽう力を発揮する。それをさせまいと、オレは内無双などで抵抗したのだが、最後はガッチリ両まわしを引かれ、寄り切られて万事休す。

 13連勝で優勝を決めた平幕力士は史上初だったから、このときの琴富士さんがどれだけ強かったことか――。