■中島裕翔が語っていた「グループ愛」

 小学5年生だった2004年に当時のジャニーズ事務所に入所し、ジャニーズJr.として活動を始めた中島は、07年4月に期間限定ユニットHey!Say!7のメンバーとしての活動を経て、同年11月にJUMPとしてデビューを果たした。

 中島は、Jr.時代から『エンジン』(05年、フジテレビ系)、『野ブタ。をプロデュース』(05年、日本テレビ系)などのドラマに出演するなど俳優活動にも積極的で、13年の『半沢直樹』(TBS系)をはじめ、数々の話題作にも出演している。また、『MEN'S NON-NO』などのファッション誌でレギュラーモデルを務めるなど、ソロとして幅広い活動をしてきたが、一方でグループに対する愛情を語る機会も多かった。

「過去にインタビューで、《僕はアイドルの自分を間違いなく誇りに思っているし、経てきたものすべて含めて自分だと思っています》語っていたんです。

《“アイドル出身なのにすごい”みたいに言われるのは、表には出さないけど、実は一番うれしい言葉であったりもします》
《他の俳優さんとか、おひとりで活動されている方に「ホームがあるっていいね」ってうらやましがられることがありますが、僕自身もそこは感謝しています》

 など、アイドルとして活動することに対するこだわりをにじませる発言もありました。

 さらに、23年に出演したトーク番組『おしゃれクリップ』(日本テレビ系)でも、“Hey!Say!JUMPがあるから俳優の活動ができる”、“この8人でずっとHey!Say!JUMPとしてやれたらな”など、グループに対する愛情の深さも表現していましたし、まさか“即日卒業”という形でグループを去るとは、ファンは微塵も思っていなかったはず。

 本人が卒業の理由として出した“自分の足で立って俳優を主軸に活動したい”のコメントと、“グループがあるから俳優活動ができる”の言葉には、やはり矛盾がありますよね……」(前出の芸能プロ関係者)

 これら中島の過去の発言はファンもよく知るところ。SNSでは、あらためてそうしたグループ愛を語る中島の発言が拡散され、

《正直、裕翔の俳優への思いが強いのはずっと感じてた。 でも、アイドルとして、Hey!Say! JUMPとしての思いも負けないくらい強く持ってたって思う》
《今回ばかりは正解じゃないよ。ちゃんと説明して、8人の姿を見せてくれ。いちばん楽しそうにアイドルしてたよ、裕翔くん。あなたは誰がどう見てもアイドルとして輝いてたし楽しんでた》

 など、これまでの言動と今回の決断の整合性がつかず、現実を受け入れられないファンが多数存在している。前出の芸能プロ関係者が語る。

「脱退前に出演が決まっていた『a-nation』を欠席してまでも、“即日卒業”するのは異常事態とも言えそうです。さらに、そこでメンバーが中島さんに全く触れなかったのは、そうせざるを得なかった事情があると見られてもおかしくないですよね……。

 明らかに不穏な空気が漂っていることもあり、ファンは状況を消化できないままになっています。中島さんのグループに対する貢献は揺るがないとはいえ、少なからずモヤモヤとしたものを残して卒業したのは事実でしょう」

 悩ましいファンの気持ちを晴らすには、中島本人が“即日卒業”に至った経緯を説明するしかないはず。果たして、その日は来るのだろうか。