■安全が二の次だった昭和の学校のリアル
夏のグラウンドでは、部活中に「水を飲むな」と言われ、部員たちは唇を乾かしながら走り込み。体罰も日常で、遅刻や失敗をするとゲンコツやビンタを受け、グラウンドの隅で正座させられたり、泣きながら何周も走らされたり……。今なら大問題ですが、当時は「しごき=愛のムチ」と呼ばれ、教育の一部と考えられていました。
「秋の運動会は命がけで、騎馬戦では上に乗った子どもが帽子を奪い合い、時には勢い余って落下。棒倒しは巨大な棒を中心に数十人が激しくもみ合い、泥まみれで押し倒し、組体操ではピラミッド型を作り最上段に上る子どもは地上から何メートルも上でした。怪我人が出るのもよく見られた光景で、包帯や湿布の匂いが学校中に漂っていましたが、“これが青春だ”と笑って終わるのが昭和の空気でしたね」(前出・生活情報サイト編集者)
一家に一台、どっしりと置かれた黒電話。番号はダイヤル式で、ジーコジーコと回す音が家中に響きます。友達や恋人に電話すると、まず相手の親が出て、「○○さんはいらっしゃいますか」と丁寧に名乗るのが礼儀。外出先での連絡は公衆電話が頼りで、テレホンカードや10円玉を握りしめ、緑色や黄色の電話機の前に行列ができました。
「昭和男子であれば、同級生の女性の家にかけて父親が出て緊張した、異性から電話が来て家族が大騒ぎになった、なんて思い出がある人は多いのでは。駅の伝言板には『17時に噴水前で待ってます』などのメッセージが並び、会えなければそれで終わり、という潔さもありましたね」(エンタメ誌ライター)
駅や学校のトイレはほぼ和式で、小さな子どもは使い方に苦労し足を踏み外すことも。便座が冷たくないのは冬だけの話。電車のトイレは垂れ流し式で、用を足すと「ゴトン」という音とともに線路の下へ排出されました。停車中は使用禁止の張り紙が貼られ、走行中のみ使えました。衛生面は良くありませんでしたが、それが当時の「常識」だったのです。
ブラウン管テレビの映像が乱れたら、リモコンではなく本体を「ポンッ」と叩いて直しました。時には蹴ることも。バラエティ番組では芸人が熱湯風呂に落とされたり平手打ちされたりする過激な企画が平然と放送され、お色気シーンが家族団らんの時間に流れると気まずい空気になるのもお約束でした。
「ラジカセなどの録画機器が高価だったため、音楽は“その瞬間”を逃さず録音するしかなく、イントロが流れた瞬間に録音ボタンを押し、家族の咳払いや食器の音が入らないよう息を殺しました。途中で母親が『ごはんよー!』と叫んで台無しになることも。それでも録音テープは宝物として大切に扱われていましたね」(前出・エンタメ誌ライター)
買い物は近所の個人商店が中心で、八百屋や魚屋で「今日はツケで」と言えば店主が分厚い帳面に鉛筆で記録。月末に現金でまとめて支払います。財布の中に現金がなければ買い物はできず、クレジットカードや電子マネーはまだ未来の話。地域の信頼関係があって成立する仕組みで、顔なじみ同士やり取りが日常にあふれていました。
昭和の暮らしや習慣は、令和の安全や快適さとは大きく異なり、時代の流れを感じさせます。現代の私たちは、過去の価値観を知ることで、新しい時代の文化や社会をより深く理解できるのです。
トレンド現象ウォッチャー・戸田蒼(とだ・あおい)
大手出版社でエンタメ誌やWEBメディアの編集長を経てフリー。雑誌&WEBライター、トレンド現象ウォッチャーとして活動中。