■強右衛門の忠誠心をドラマチックに演出?
しかし、彼の活躍を記した最も古い史料の一つに小瀬甫庵(おぜほあん)著の『信長記』があり、そこには磔のくだりがなく、逆に勝頼は彼を「義士」とたたえ、強右衛門自らが死を乞い、処刑されたとある。その後、いくつかの軍記物類が書かれ、強右衛門が磔にされたとする記載内容が時代とともに目立つようになった。
また、当時、強右衛門の行動に感じ入り、磔になった彼の姿を映しとって旗指物にした武田方の武士も現れた。旗指物というのは戦場で自らの旗印とするため、鎧の後ろに差し込む竿に掲げるもので背旗(せばた)ともいう。「落合左平次道次背旗」という名で現存しており、褌一枚で大の字に磔にされた強右衛門が眼光鋭く正面を見据えている姿で描かれる。この落合左平次が強右衛門の処刑現場を目撃していたと考えられるから、これまで強右衛門が磔にされたのは史実と考えられていた。
ところが最新の研究で、この旗指物を使ったのは左平次とは別人で、その人物は強右衛門処刑の現場を目撃していないことがわかった。
本当に強右衛門が磔にされたなら、インパクトが強いだけに『信長記』は内容の一部に問題がある史料ではあるが、書き漏らすはずがない。その後の軍記物類が強右衛門の忠誠心をドラマチックに演出するため、通説として磔説を広めていった疑いがなくはない。
跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960 年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。アメブロ『跡部蛮の「おもしろ歴史学」https://ameblo.jp/atobeban/』、SNS:X(@atobeban)、インスタグラム(atobeban)