■救援陣に浸透した球児の考えとは?

 今年4月に亡くなった小山正明さんも、同じことを言ってたわ。

「カワ、ピッチャーの肩は消耗品だって言うけど、ワシの考え方は違うぞ。投げ込むことで、ボールをコントロールすることを肩に覚え込ませるんや」

 そうやって、小山さんは通算で320の勝ち星を重ねた。通算無四球試合73も歴代2位の記録や。

 先発とリリーフの違いはあるけど、石井大智はある意味、昔気質のピッチャーやと思うな。あいつの強くてスピンのかかったボールは練習と向上心の賜物やし、それが連続無失点の日本記録にもつながった。

 しかも中継ぎだけやなく、岩崎優が不在の間はクローザーの役割も立派にこなしたからな。藤川球児も「石井の存在は本当に大きいですよ」と高く評価しとる。

 ただ、ワシの目から見ると、ちょっとばかりマジメ過ぎるけどな。もうちょっと横着しても、ええんとちゃうかと思う(笑)。

 そして、マジメなのは石井に限らん。球児はリリーフ陣を「チームの心臓」と呼んでるらしいけど、その心臓を担う連中がみんな、クソがつくほどマジメや。

 リリーフ陣全員が口をそろえて「こうして仕事できるのは、前のピッチャーが抑えたから」、あるいは「後ろのピッチャーが抑えてくれるから」と言うからな。自分がしっかり抑えて、次へつなぐんだという意識が驚くほど強い。

 要するに「今のポジションがあるのは自分の力だけじゃない」と考えてるわけや。そこは見事なくらい一枚岩になっとる。

 ワシらの頃は、ピッチャーは自分さえ抑えれば、他のピッチャーは打たれようが、点を取られようが、関係ないと思ってたからな。そこはバッターも同じで、ライバルが打てんかったら、よっしゃ、自分の出番やと思ったもんや。

 おそらく、中継ぎもクローザーも経験した球児の考えが浸透してるんやろう。つくづくいいチームになったと思うな。強いわけやで。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。