■東海林の生き様からアンパンマンが生まれた
東海林(津田)は、嵩(北村)とのぶ(今田)が昭和21年(1946年)頃に働いていた高知県の新聞社「高知新報」の上司。7月28日放送回を最後に登場しなかったが、9月10日放送回で、およそ25年ぶりに2人と再会した。
すっかり老け込んだ東海林は、東京の柳井家をアポなしで訪問。嵩とのぶが入社面接のときに話していた「逆転しない正義」の答えが、嵩の絵本『あんぱんまん』に込められていると感じたといい、「何十年かけて、やっと見つけた。そうやにゃ?」と優しい笑顔を浮かべた。
そして、嵩にあらためてエールを送ってから、帰り際、嵩の「今度ゆっくり泊まりに来てください」という言葉に「はいよ。ほいたらにゃ~」と、弱々しく手をふり、柳井家を後に。
しかし、東海林は嵩とのぶと別れて程なく亡くなったことが、新聞社時代の同僚からの手紙で明らかになる。実は東海林は入院中でありながら「2人に確かめたいことがある」と言い、医師の「命の保証はできない」という制止を振り切り、上京していたのだ。
嵩は「命を削って会いに来てくれたんだな」とつぶやき、その夜、突き動かされるかのように鉛筆を走らせた。当時のアンパンマンは“中年のおじさん”だったが、ここで我々がよく知る、“顔を食べさせてくれるあんぱんのヒーロー”が生まれたのだ。
《アンパンマンの始まりにこんな深い意味があったなんて それを信じてくれてた編集長..泣ける》
《東海林編集長の訃報を聞いて嵩がアンパンマン完成させるの泣ける……》
と、“泣ける”という声が、多く寄せられている。
「そして、弟・千尋もそうですが、『あんぱん』の中盤では、戦争のやるせなさが色濃く描かれていて、これも多くの視聴者を泣かせました。戦後にも終戦記念日のシーンで戦死者が回想として登場したり、遺族が登場し、やはり話題になりました」(前出のテレビ誌編集者)
『あんぱん』の9月5日放送回では、終戦記念日の場面で、のぶの妹・蘭子(河合優実/24)が、出征前に結婚の約束をしたのに戦死した青年・原豪(細田佳央太/23)を悼むシーンがあった。
豪は昭和12年(1937年)7月に出征したが、2年後の昭和14年(1939年)秋に戦死の報せが朝田家に届く。5月21日放送回では豪の葬式が描かれ、そこでの蘭子の叫びに多くの視聴者が涙したのだ。
「時代を考えると仕方ないのですが、人々は葬式で豪を“立派だった”“英霊になられた”などと讃えた。のぶも当時は“愛国の鑑”と評されていて、蘭子を“誰よりも蘭子が誇りに思っちゃらんと”と励ました。しかし、蘭子がそれに激怒し、感情を爆発させるシーンは、涙なしで見られない名シーンとして話題になりました」(前同)