■建議書がたどった数奇な運命

 平八郎は跡部のみならず、その建議書によって歴代奉行の不正をも告発していた。通説では、平八郎と良好な関係だったとする西町奉行・矢部定謙(さだのり)も、与力らの横領の事実を秘匿し、口封じのためか、関与した商人を牢屋(ろうや)で殺害したというのだ。

 平八郎が告発したのは歴代奉行だけではなかった。

 建議書を送り付けた幕府老中らの不正行為も糾弾。不正な「無尽」に老中大久保忠真(たださね・小田原藩主)らが関与していたという。無尽というのは講を組んで掛け金を出しあい、クジなどで配当を受け取る仕組みだが、企画した忠真らに法外なカネが配分されている疑惑があった。

 つまり平八郎は、コメ騒動に関係した跡部の不始末よりも、歴代奉行から中央政府の要人(老中ら)に至る不正行為を問題視していたわけだ。

 しかも、この建議書はすぐ幕府には届かなかった。平八郎が大坂の飛脚問屋から発送した建議書は、乱後、大坂奉行所の者がその事実を知り、飛脚問屋に大坂への返送を命じたのだ。江戸で開封されずに大坂へ差し戻しとなった建議書は、運んでいる最中に飛脚が持病に襲われ、たまたま顔見知りの人足が現在の三島市(静岡県)周辺を通りかかったので彼に荷物を託すが、その人足が金目のものと勘違いし、盗んでしまう。結果、建議書は路傍に散乱した状態で見つかり、伊豆韮山代官・江川英龍が回収。幕府に届けられる。

 この建議書がたどった数奇な運命からも、平八郎が告発しようとした当時の政界に潜む闇の深さが窺(うかが)える。

跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。