■絶対負けたくない1歳上のエリート
その落合から、2場所後の夏場所、幕下10枚目格付け出しで入門したのが、大の里だ。こちらも、負けじと2場所で十両に昇進したのだが、「落合がスピード出世したときと比べられて、悔しい思いをした」と、後日、大の里が語っているように、年齢は違ってもライバルで、伯桜鵬にとっては、横綱というより、負けたくない「同期」。持っている力を思いっきりぶつけて、大の里から2場所連続の金星を獲得したのは見事だった。
平成2年夏場所、オレが新入幕を果たした際、同時に昇進したのが、曙、若花田、大翔山(現・追手風親方)という面々。若貴曙は、昭和63年春場所が初土俵だから、オレより5年も後輩。1つ年上の大翔山は、日大でタイトルを取って、入門したエリート。オレとしては絶対負けたくない相手だったし、実際、張り手で倒したりした。曙とは44回の対戦があって、意外に勝ったものだから、「曙キラー」なんて言われたっけ。
でも、オレみたいな、ちっちゃくて才能もない力士は毎日が必死で、ライバルの存在なんて考える余裕がなかったというのが本音かな。
貴闘力忠茂(たかとうりき・ただしげ)
1967年9月28日、兵庫県生まれ。二子山部屋(入門時は藤島部屋)入門後、83年に初土俵。最高位は東関脇。2000年に幕尻(前頭14枚目)で初優勝する。02年に引退し、大鵬部屋の部屋付き親方となるが10年に野球賭博関与のため日本相撲協会を解雇される。現在は焼肉店『ドラゴ』を経営。