■助っ人外国人選手の成功に必要な物は?
初めてキャンプで見たときは、正直言って、ここまでやるとは思わんかった。それがオープン戦で投げるたびに良くなった。真っすぐは速くて強い。変化球は切れる。こりゃあ、面白い存在になるかもしれんと思うようになったわけや。
実力に加え、性格もええな。日本野球に溶け込み、日本文化を学ぼうとする姿勢に好感が持てた。
ピッチャー仲間から積極的に日本の練習法を取り入れてたし、日本語をマスターするのも速かった。キャンプの守備練習で、「ノーアウト、イチニルイ~」なんて大声を出してたときは、こっちがビックリしたで。
要するに、日本野球をリスペクトしとるわけや。そこは日本で成功するかどうかのカギやからな。
最近の外国人だと、メッセンジャーがそうやった。メジャーでの実績はなかったけど、日本では在籍10年で6度の開幕投手を務め、通算98勝。日本の野球に慣れるだけやなく、日本での食生活にもなじんだ。
ラーメンが大好物で、先発の前日には必ず食べてた。日本で生まれた次女には「ジジョ」というミドルネームまで付けてたからな。
ワシの時代だとランディ・バースや。練習の合い間にワシらが将棋を指してると、「カワ、そのゲームを俺にも教えてくれ」と言って来た。もちろん、丁寧に指南した。頭がいいから、上達は日本人以上に速かったし、そうした頭の良さは、ピッチャーの配球を読むことにも発揮された。
デュプランティエが日本野球に順応してるなと思ったのは、甲子園のロッテ戦(6月19日)で来日初完封をしたときやった。バッテリーを組んだ坂本のことを、ちゃんと持ち上げた。
「彼は配球の天才です。彼のおかげで三振がたくさん取れたし、完封もできました。そして味方の守備を信じて投げました」
こんな性格のいい助っ人、めったにおらんぞ。たいていは自画自賛やから。今は調整中やけど、CSには間に合ってほしいな。間違いなく、やってくれるはずや。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。