■好色無礼男の正体とは
師直の実像を明かす前に、まずはその合戦がどんな意味を持つのか見ていこう。ひと言でいうなら、吉野の南朝をさらに山奥の賀名生(あのう・奈良県五條市)へ追いやった一戦といえる。前年、かの楠木正成の遺児・正行(まさつら)が成人して紀州などで蜂起し、幕府軍を打ち破っていた。驚いた幕府は師直らに大軍を与え、一気に吉野鎮圧を図った。こうして南朝軍と幕府軍が激突。このとき、正行が父・正成譲りの策で幕府軍を罠にはめようとしたが、師直はそれに乗らず、結局、正行は自害して果てた。
一方、勢いに乗る幕府軍は吉野を落とし、天皇の御所をはじめ南朝の施設をことごとく焼き払ったのだ。
どうやら、このことが悪評を生むキッカケになったようだ。師直が女好きだったのはある程度まで事実だったとしても、天皇への暴言は、この悪評が生んだ濡れ衣の疑いがある。
吉野焼き討ちは暴挙に思えるが、敵の本拠を焼き払うのは戦術にかない、かつ、四条畷で正行の策に乗らなかったあたり、合戦上手でもある。
また、行政面でも執事施行状(しぎょうじょう)の発給で幕府御家人の支持を得ている。当時は内乱期だっただけに、いくら御家人が合戦の恩賞で所領を得ても、確実に知行できるかどうかは分からない。そこで幕府執事の師直が「沙汰付」(強制執行)を命じたのだ。この書状があれば御家人も安心して恩賞を受けられる。幕府方の御家人はだからこそ命懸けで南朝方と戦えた。
好色無礼男の正体。それは文武両面で幕府にとって欠かせない存在だったのである。
跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。