■ヤラセなしで…一般人にドッキリ!

 給食では、「鯨の竜田揚げ」が定番メニュー。戦後の食糧難のなか、豚肉や牛肉が高価だったため、鯨肉は安くて栄養価が高い“庶民の味方”。独特の香りと歯ごたえに賛否は分かれたものの、多くの子どもにとって懐かしい味です。

 ところが昭和62年、国際捕鯨委員会の商業捕鯨禁止で流通が途絶え、学校給食から姿を消しました。いまやスーパーで見かける鯨肉は高級食材。食の移り変わりが、時代の流れそのものを物語っています。

 社会人の世界では、給料は「手渡し」が常識でした。給料日になると上司が一人ずつ呼び出し、茶封筒を手渡す。「今月もよく頑張ったな」の一言が、札の重み以上に胸に響いたといいます。銀行振込が普及するのは昭和の終盤。封筒を受け取る瞬間に感じる“仕事の実感”が、モチベーションを支えていたのではないでしょうか。

 テレビ番組にも、今では放送不可能な企画がありました。芸能人ではなく、一般人にドッキリを仕掛けるバラエティ番組です。1969年に放送された『なんでもやりまショー』(日本テレビ系)の人気コーナー「元祖どっきりカメラ」では、仕掛け人が一般人を驚かせ、その様子を隠し撮り。最後に「どっきりカメラ!」の札を掲げてネタばらしをしていました。怒る人もいれば爆笑する人もおり、番組は大ヒット。今なら炎上必至ですが、当時は“人のリアクション”そのものを楽しむ素朴な娯楽だったのです。

 そして、金曜夜8時といえばプロレス。力道山に始まり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木――昭和のヒーローたちが、お茶の間を熱狂させました。

 試合が始まると銭湯は閑散とし、家族全員がちゃぶ台の前で固唾をのむ。テレビのチャンネル権をめぐる争いも、この時間だけは休戦。試合のゴングと同時に、家庭の空気もひとつになったのです。

 鉄道の利用も、今とは比べものになりません。駅の改札では自動改札機などなく、駅員が一枚ずつ切符を受け取り、“パチン”と鋏を入れて通していました。切符を買うのも窓口で口頭。「○○までください」と伝えて現金を渡す。改札口には人の声とハサミの音が絶えず響き、そこに確かな「旅の始まり」の匂いがあったのです。

 カラオケもアナログでした。分厚い曲目本をめくって番号を探し、リモコンで入力。順番を譲り合いながら、マイクを回して歌う。少し音が割れても、笑い合えばそれで十分。機械が完璧ではないぶん、人の空気で盛り上がる――そんな昭和的な楽しみ方がありました。

 ネット上には、今もそんな時代を懐かしむ声があふれています。

「小学生の頃、自販機で父のタバコを買って届けたのが“お手伝い”だった」

「鯨の竜田揚げの匂いが給食室から漂うと、みんなソワソワした」

「金曜8時のプロレス中継は家族行事。祖父まで立ち上がって応援してた」

 どの声にも、昭和の温度がそのまま残っています。

「昭和の時代は、今よりも人間関係やコミュニケーションが生活の中心にありました。子どもがタバコを買えてしまったり、隣人が荷物を預かってくれたりするのは、現代では考えられない光景ですが、そうした経験を通して人々は互いに信頼し合う感覚を自然に身につけていたのです。今の便利な社会では失われつつある“顔が見える関係性”を当時の暮らしから学べる点は多いでしょう」(生活情報サイト編集者)

 効率とデジタルが当たり前になった令和の今こそ、あの時代に息づいていた「人のぬくもり」や「おおらかさ」に、もう一度目を向けてみるのも良いかもしれません。

トレンド現象ウォッチャー・戸田蒼
大手出版社でエンタメ誌やWEBメディアの編集長を経てフリー。雑誌&WEBライター、トレンド現象ウォッチャーとして活動中。