教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
天皇家にとって“モンスター”といえる室町幕府三代将軍足利義満。彼が天皇家から皇位を簒奪しようとした疑いがあるからだ。その“モンスター”と対立し続けた後円融天皇はかつて、「武家に最後の抵抗を示した王者」といわれてきた。
しかし、評価は一変。「やるべきことをちゃんとやらない人」(石原比伊呂著『北朝の天皇』参照)とされ、義満がそんな天皇と対立せざるを得なくなった事情が見えてきた。
義満との対立を通じ、後円融天皇の素顔に迫ってみよう。
延文三年(1358年)、南北朝の争乱の真っただ中に生まれた後円融と義満は同い年の従弟どうしだ。後円融は一七歳で北朝の天皇として即位。元関白の二条良基が後見人となることを嫌い、良基が即位礼の際の印明伝授(儀式の一つ)を行うことを拒んだ。良基に朝廷の政治を仕切られるのを嫌がるところまではよかったが、朝廷の儀式が次々中止に追い込まれた。その間、良基の協力のもと、停滞しがちだった朝廷の政治を動かしていったのは、公家としても昇進を重ねていた将軍義満だった。