■捏造の臭いがプンプンする話

 ただ、合戦後に大坂城入りを図りたい家康は輝元に西の丸の明け渡しを求め、承諾させる。もちろん、事実上の本領安堵の約束を取り付けてのことだった。

 それにもかかわらず、家康はその後、「輝元が(石田三成ら)奉行と一味していたことが明らかになった」として約束を反故にし、前述した通り、毛利家は全領没収の危機に立たされるのだ。

 このとき家康は、南宮山で軍を動かさなかった広家の功績を認め、彼に中国地方で1、2ヶ国を与えると通達したが、広家は黒田長政と福島正則に宛てた書状で輝元の弁明に努めるとともに、苦しい胸の内をこう吐露している。

「それがし一人がご恩を蒙っても本家(毛利家)を見捨てることはできません。どうか輝元と同様に処罰のほどをお願い申し上げます」

 この広家の心情にうたれたのか、家康は広家に代わって毛利本家に防長2国(周防と長門)を与えた。これが美談の内容である。

 しかし、広家が胸の内を吐露した文書は吉川家の古文書を集めた『吉川家文書』に収められず、この時代にそぐわない文字が使われており、文書捏造の疑いが浮上している。

 しかも、吉川家(岩国藩)がのちに『関原軍記大成』の著者宮川忍斎に金(20両)を渡し、この美談を書かせた疑いがある。実際に忍斎は捏造したとみられる文書を吉川家から渡され、「吉川が自家の繁盛を捨てて本家の相続を願った志は殊勝である」と同書に記している。捏造の臭いがプンプンする話といえる。

跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は古野貢『オカルト武将・細川政元』(ビジネス社)。

※参考文献 光成準治著『吉川広家』