■虎と鷹の違いは選手層の厚さ!
おそらく、球児はソフトバンクとの差を痛感したはずや。相手の底力を認め、こんなコメントを残した。
「こういう強いチームと対等に戦うためには、もっとチーム力を上げていかないといけない」
確かに先発陣と救援陣の充実ぶりや、上位打線の破壊力という面を見れば、両者は互角に見える。
しかし選手層が違う。ソフトバンクは首位打者を獲った牧原大成を下位打線に置き、左脇腹痛の近藤健介を指名打者制のない甲子園では代打として起用した。
そして、近藤は第4戦、6回二死二塁の場面、代打で登場すると、桐敷の2球目をはじき返し、ライト前にタイムリーヒットを打った。見逃せばボールのような低い球やった。これを巧みなバットコントロールでさばいた技術の高さは、さすがというしかない。
一番に入った柳田にしても、レギュラーシーズンは4月下旬から9月下旬まで約5か月間、ケガで戦列を離れとったんやから。それが、シリーズ第5戦では石井大智から試合の流れを大きく変える、同点の2ランホーマー。これも外角低めの難しい速球をレフトのポール際に運んだ。打った柳田を褒めるしかないバッティングやった。
タイガースはソフトバンクとギリギリの勝負をして負けたわけやが、ワシはちっとも悲観しておらん。この数年、タイガースはどんどん強くなっとる。
ひと言で言うなら、チームが闘う集団としてまとまってきたちゅうことかな。レギュラーもベンチで控える選手も全員が自分の役割を自覚し、チームの勝利のために何をすべきか理解しとる。守りも向上した。2年前に優勝したときは失策数がリーグ最多。それが今季はリーグ最少。守り負けることがなくなった。
選手の勝利と育成の両立を目指した球児の采配も見事やった。来年は、さらに強くなって日本シリーズの舞台に帰ってくるはずや。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。