■練習でも常に全力 虎の大黒柱・大山
四球の多さは選球眼の良さを示してるだけやない。それだけ相手バッテリーから警戒されてるわけで、配球の読みを含め、高い打撃技術がなかったら、これだけの四球を奪うことはできん。要するに、こういう選手が5番におると、相手のピッチャーは嫌なもんや。
大山の打棒がチームを救ったことも、1度や2度やない。ワシの記憶に鮮明なのは8月26日の対DeNA戦や。筒香嘉智の2発で0対2とリードされたまま、9回表を迎えた。
一死から中野と森下の連打で一、三塁とし、テルがセンターへ犠牲フライを打って1点差。ここで5番大山。もちろん、ホームランが出れば、起死回生の大逆転劇や。ワシに限らず、虎ファンはみんな、それを待ち望んだと思う。
大山は見事、その期待に応え、レフトスタンドにライナーでぶち込んだ。なんだか、野球漫画を見てるようやったわ。試合は9回裏に一死満塁のピンチとなったけど、石井大智が鮮やかに後続を断ち、阪神は両リーグ一番乗りで70勝に到達したちゅうわけや。
大山は、とにかくマジメな性格で、日頃の練習を欠かすことがない。
ある日、ワシはバッティング練習を、終えて、汗だくでベンチに戻ってきた大山に聞いたことがあった。
「大山よ、おまえはバッティング練習を、どれだけの力を入れて、やっとるんや。何%で打っとる?」
「120%です!」
「この猛暑の中、なんで、そこまでやるんや。涼しい室内でもええんとちゃうか」
「カワさん、これが僕の練習方法ですから」
今の時代、暑い夏はコンディションを考え、練習をセーブする選手が多い。しかし、大山は、それを良しとせん。忍耐や辛抱が大山の打棒を支えとるわけや。
打撃陣の最年長に、こういう選手がおるんやから、頼もしい。タイガースが強いのも当然や。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。