教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
足利氏の幕府「室町幕府」の名の由来は、京の室町に造営された将軍家の邸宅「花の御所」にある。3代将軍義満の造営として名高いが、御所が完成した永和4年(1378年)、義満は若干21歳。この御所造営には義満とは別の仕掛け人がいた。室町時代を代表する名管領(将軍の補佐役)、細川頼之(ほそかわ・よりゆき)だ。今回も、「ナンバー2」の活躍を見ていこう。
頼之が生まれたのは、元徳元年(1329年)。初代将軍足利尊氏が鎌倉幕府打倒の兵をあげる4年前だ。細川氏の本拠、三河国細川郷(愛知県岡崎市)で生まれた。11歳で父・頼春(よりはる)の分国(領国)である阿波(徳島県)に赴き、以来、南朝勢力との戦いの中、四国のみならず、「中国管領」としての地位を固め、それが2代将軍義詮(よしあきら)に評価されたようだ。
貞治6年(1367年)、39歳のとき、幕府創業以来の重鎮である佐々木道誉(ささき・どうよ)らに招かれる形で上洛。その年の11月、頼之は病床に伏した義詮の枕元に呼ばれ、次の将軍となる嫡男・義満の補佐を託されたのだ。義詮はこのときまだ10歳の義満に「汝に一父を与えん」と言ったと伝わる。こうして管領となった頼之は若い3代将軍の権威付けに奮闘する。