■暗黒時代の始まりはバースの退団から…
タイガース凋落の最大の要因は、やっぱりランディ・バースがいなくなったことや。1988年、バースは息子の病気治療を巡り、球団と対立。結局、バースは野球を取るか、家族を取るかという苦渋の決断を迫られ、家族とともに5月に帰国の途に就いた。
バース自身は「息子の状態が良くなれば、日本に帰って来てプレーするつもりだ」と言ってたんやけど、球団との話し合いは暗礁に乗り上げ、まもなく阪神はバースとの契約を解除した。このとき、バースは34歳やからな。まだまだ活躍できる年齢やった。
2年連続三冠王に輝き、前年も3割打って、37本塁打、79打点。こんなチームの大黒柱が欠けたんやから、そりゃあ、勝てなくなっても当たり前や。今シーズンのセ・リーグを見れば、よう分かる。ヤクルトは村上、巨人は岡本が欠場し、一気に戦力ダウンした。それと同じこっちゃ。
実は、暗黒時代のまっただ中、ワシはコーチを務めたこともある。1年目は一軍外野守備コーチ、2年目が一軍総合コーチ。およそコーチ向きのタイプでないワシが、そんな大役を引き受けたのは、盟友とも言うべきカツ(中村勝弘)に「苦楽をともにしてくれ」と懇願されたからや。結果は2シーズンとも最下位。
ところが、ワシがコーチを退いた翌1992年、タイガースは熾烈な優勝争いを演じた。長い暗黒時代にあって、最も虎戦士が輝いたシーズンと言えるやろう。20歳の新庄剛志、22歳の亀山努の新亀コンビが躍動し、2ケタ勝利の仲田幸司や湯船敏郎を中心に、投手陣も踏ん張った。
そして、一時は首位に立ち、優勝も見え始めた。そんな頃、ワシはオカ(岡田彰布)に聞いたんや。
「優勝したら、どこで騒ぐんや。ワシも行くぞ(笑)」
「カワさん、冗談はやめてくださいよ。勝てるわけないでしょ」
オカは冷静にチームを見とったな。優勝する戦力も、ベンチの雰囲気もなかったんや。運もなかった。それを象徴する甲子園の試合がある。その話は次回や。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。