■優勝した瞬間のリアクションは尊敬する木村拓哉にそっくり!?

――幼少期からお笑い好きだったわけではないんですね。

「幼少期、兄は顔がとても整っていたようで、その頃はジャニーズを目指していたそうですが、前歯が出始めてから諦めたようです(笑)。兄は昔からとても明石家さんまさんを尊敬しており、テレビのチャンネルも私が見たいものは見させてもらえず、いつも『恋のから騒ぎ』や『踊る!さんま御殿!!』(ともに日本テレビ系)を見ていた記憶があります」

――きむらバンドさんは木村拓哉さんの大ファンで、コンビ名の由来も木村拓哉さんを尊敬していることから来ていますよね。事務所のプロフィールにも趣味に「木村拓哉さん鑑賞」とあります。

「いつ頃から木村拓哉さんを好きなのか、母にも確認しましたが分かりませんでした……(笑)。家族の前では特にモノマネをしたりする事はありませんでしたが、兄の部屋に木村拓哉さんのグッズやCDがあったのは覚えています。

 これは『M-1』優勝の瞬間を見て思った事なのですが、兄の喜び方がとても木村拓哉さん風味で……(笑)。その姿を見て、“あぁ、木村拓哉さん大好きなんだなあ”と思いました(笑)」

――苦節10年、芸人としての兄の活動はどのように見ていたのでしょう?

「兄の芸人としての人生は、みなさんにも言われているとおり苦労人だったと思います。ですが、2018年に『M-1』の敗者復活に出てから、私は“必ずたくろうは売れる日が来る!”と信じていました。

 また、愛媛の地元ローカル局でも冠コーナーを持たせていただいていましたし(『ちかくナルナル なるちか!』・愛媛朝日テレビ)、大阪のよしもと漫才劇場での出番も少なくないと思っていましたので、特に心配はなく、兄には好きな事を思う存分追求してほしいなと思っていました」

――最後に、見事チャンピオンになった今後について想うところをお願いします。

「これからはメディア露出や舞台、営業などでとても忙しくなると思いますが、兄も赤木くん(ボケ担当の赤木裕/34)も体調だけは本当に気をつけてほしいと思います。

 兄も赤木くんも、本当に優しくて素敵な内面を持っているので、そこだけは変わらず兄らしく多くの方に愛される芸人さんになってもらえたらと思っています。もっともっと兄の良さを、たくろうの良さを世間様に知っていただけたら、私たち家族も本当に嬉しく思います!!」

 漫才日本一に輝いた裏には、素敵な家族のサポートがあったようだ。