■実母の不倫疑惑

 そこには、後に大政所(おおまんどころ)と呼ばれる実母の不倫疑惑が関係している。その母は秀吉の実母でもあり、これは秀長のみならず、兄・秀吉にも関係する問題。そこで2回にわたって大政所のお相手、すなわち秀吉と秀長の実父が誰なのかを検証してみたい。

 まず『太閤素性記』によると、秀吉の父は織田信長の父・信秀の鉄砲足軽だった木下弥右衛門(きのした・やえもん)。合戦で傷を負い、体の自由が利かなくなって故郷の中村(名古屋市)で百姓として暮らし、同じ尾張の御器所村(同)生まれの大政所との間に長女の瑞龍院と秀吉をもうけたが亡くなってしまう。その後、大政所は信秀の同朋衆だった竹阿弥(ちくあみ)を婿に迎え、男児(秀長)と次女(南明院)が生まれたという。つまり、秀吉の父が弥右衛門で、秀長の父は竹阿弥。のちの豊臣兄弟は異父同母の兄弟になるわけだ。

 しかも、『老人雑話』によると、天正11年(1583年)に秀吉が織田信雄(信長次男)を擁して賤ケ岳(滋賀県長浜市)で柴田勝家と戦った際、最前線を秀長に託して敵方の信孝(岐阜城主で信長三男)を攻め、大返しで勝利するものの、留守を預かっていた秀長が柴田勢の猛攻を受けて配下の中川清秀を見殺しにしてしまう。そのとき秀吉は諸将の前で怒りをあらわにし、「身(秀長)と種違ったり」、つまり、「おぬしとわしでは種が違うのでこういう結果になったのだ」と罵倒したという。

 この逸話と『太閤素性記』の内容から、一時、秀吉と秀長は実父が異なる兄弟だという説が一般化したのだが……。 (つづく)

跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。