教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
4日に初回を迎えたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は「秀長が長生きしていれば豊臣家の天下は安泰だった」(公式サイトより)といわしめた天下一の補佐役が主人公。つまり、豊臣秀長こそが戦国乱世の時代を代表する「ナンバー2」という解釈だ。
それを象徴する話がある。豊後の大友宗麟(おおとも・そうりん)が薩摩の島津に攻め込まれ、天正14年(1586年)、天下をほぼ掌握する関白秀吉に泣きついた。
結果、その翌年に秀吉は島津征討の軍勢を催すのだが、宗麟が秀吉に直訴するために大坂城へやって来た際、国元へ宛てた書状によると、秀長が宗麟の手をとり、「内々の儀は(千)宗易(そうえき)、公儀の事は宰相(秀長)が承るのでご安心なされよ」といったという。豊臣家の「内々の儀」は千宗易(利休)、「公儀の事」は宰相の自分が任されていると秀長が宗麟に語ったわけだ。「公儀の事」を任されているというのだから、秀長が多忙な関白秀吉の名代として天下の政治を代行しているといえなくはない。
ところで、秀長の最大の謎はその出生にある。というのも、実父が誰か定まっていない。近年、この「秀長の実父」問題は、兄・秀吉と同じく木下弥右衛門説で決着がついたように見えるが一筋縄ではいかない。