■ワシの転機の年に江川が巨人へ入団
この年、タイガースは41勝80敗9分けで、球団史上初めての最下位やった。それも5位とはゲーム差10.5やから、ぶっちぎりの最下位や。「ダメ虎」時代はここから始まったという人さえおる。
当時、ワシは29歳。レギュラーを目指すのではなく、代打一本で行くことを覚悟したシーズンやった。打数は少ないながら、打率.327をマークし、ホームランも2本打った。
けど、川藤幸三の転機の年だったと記憶しているファンはまずおらん(笑)。
球史を揺るがし、日本中を騒がせた大事件はシーズンオフに起きた。
そうや。江川騒動や。巨人は「空白の1日」とかいう、けったいな理屈をこねて江川卓との選手契約を結んだ。契約の正当性を強引に主張する巨人は、翌日のドラフトをボイコットし、そのドラフトで江川を指名したのがタイガース。ライバルのタイガースが指名したちゅうのは巨人には想定外だったかもしれんな。
そのあとのゴチャゴチャは面倒やから何も言わん。とにかくコミッショナーが間に入り、巨人と阪神のトレードが成立した。
この間、日本中の野球ファンが巨人のゴリ押しに大ブーイングを浴びせた。読売新聞の不買運動まで起きた。そんなプロ野球界を救った一人が、江川とのトレード相手であるコバ(小林繁)やった。
移籍会見がよかった。
「僕は同情なんかされたくありません。江川君の犠牲で阪神に行くわけじゃない。阪神が戦力としてほしいと言ってくれたからです」
その言葉通り、コバは翌年、22勝9敗の大活躍を見せた。その後も毎年、2ケタ勝ってタイガースの投手陣を支えた。
コバにはよう言われた。
「カワ、阪神は個々の選手の能力なら、巨人より上だよ。その力が一つにまとまれば必ず優勝できる」
タイガースが日本一になったのは、コバが現役を退いて2年後のことやった。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。