■久米さんは“プロデューサー兼ディレクター兼記者兼アナウンサー兼キャスター”

 久米さんはなぜ、テレビ界で特別な存在なのか――元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏は「久米さんはテレビのことをよく知っている人でした」と話す。鎮目氏は、テレビ朝日の社会部記者として『ニュースステーション』ほか久米さんの番組に携わったり、出演もしていたという。番組制作を通して久米さんと関わりのあった鎮目氏は、こう続ける。

「久米さんは『ニュースステーション』の印象が強いでしょうが、一般的に、ニュース番組の司会者で“自分が何をすればよいのか”まで理解している人はなかなかいないんです。久米さんの時代では、アナウンサーか、完全なジャーナリスト畑の人がニュース番組の司会をすることが多かったですが、前者はニュースの内容が、後者はテレビの世界がよく分かっていないことが普通でした。

 ですが、久米さんは違った。バラエティやラジオの経験から、“ニュースはこうやれば良いのでは”と、深いところまで考えられる人だったんです。彼のアイデアに基づいて上手くいったのが、『ニュースステーション』だったんです」(鎮目氏、以下同)

 通常、テレビ界では、先に制作サイドに“作りたい番組”があり、それに合わせてキャスターを選ぶ傾向があるという。しかし、

「久米さんの場合は、彼の意見が中心で、周囲がそれを番組に反映させていった感じ。言うなれば、久米さんはプロデューサー兼ディレクター兼記者兼アナウンサー兼キャスターみたいな……。一人で何役もやれる凄い人だったんです」 

『ニュースステーション』で長年活躍した久米さんだが、TBS時代から人気アナウンサーだった。

「『ザ・ベストテン』がそうですが、久米さんは当時の人気番組の司会を多く務めていて、バラエティ番組の司会者としてナンバーワンと言える存在でした。そして、その後に始まったテレ朝の『ニュースステーション』でも、やはりナンバーワンの実力を示したと。

 基本的にアナウンサーというのは、何か1つのジャンルに特化していることが多いですが、久米さんはどの分野でもトップクラスのアナウンサーだった。『ニュースステーション』のテレ朝と古巣のTBSに限らず、各局が一目置く存在でしたね」

 そんな“凄い”久米さんだけに、当時一緒に仕事をした人たちからすれば、久米さんが仕事における指標だったという。

「久米さんが認めてくれるような形で仕事をすれば間違いないわけですからね。久米さんは、テレビマンにとって先生であり目標だった。それは、久米さんが『ニュースステーション』をやめてからも続いていましたね。

 ですので、テレビマンとしては久米さんの逝去は、より身近な人、自分にとって恩師が亡くなったような感覚に近いんです。だから、テレ朝やTBSだけでなく各局で多くの追悼番組が組まれたり、多数のキャスター、アナウンサーたちが涙を流しているんだと思います」

“テレビ界の巨星”は26年元日、静かに天国へと旅立った――。

鎮目博道
テレビプロデューサー。92年テレビ朝日入社。社会部記者、スーパーJチャンネル、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。ABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」初代プロデューサー。2019年独立。テレビ・動画制作、メディア評論など多方面で活動。著書に『アクセス、登録が劇的に増える!「動画制作」プロの仕掛け52』(日本実業出版社)『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)