■開き直った打席で逆転ホームラン!

 振り返れば、ワシの現役時代は、ずいぶんオールドメディアに奮起させてもらった。ワシにとってのオールドメディアの代表といえば、スポーツ新聞や。

 俊足が自慢のワシがアキレス腱を痛め、代打稼業に活路を見いだした20代半ばの頃やった。スタメンで出るのを諦め、バット一振りに賭けたわけや。

 ワシが考えたのは、代打で3割打とうとか、打点やホームランの数を増やそうとかってことやない。とにかく目立つ場面、チームの勝利に直結する場面で打つことやった。逆転ホームランやサヨナラヒットや。

 いつやったかな。翌日から二軍に行くことが決まってたことがあった。神宮のヤクルト戦や。なにしろ初ヒットから2か月もヒットが出とらんのやから、当たり前や。だから、その日も自分には出番がないものと思い込んどった。

 ところが、島ちゃん(島野育夫コーチ)から、準備しておくように言われたんや。そして、ホンマに9回表の同点の場面で、「代打・川藤」がコールされた。あとで知ったんやけど、島ちゃんが安藤統男監督に進言してくれたらしい。

 なぜか、このときは開き直って打席に入れた。どうせ明日からは二軍や。しかも調子は最悪。ここは心おきなくバットを振ったれ。そう思ったら、スーッと肩の力が抜けてな。結果は逆転ホームランやった。

 今でも、これがワシの代打人生における転機だった気がするわ。

 大事な場面で打ったときは、とにかく嬉しい。そして、その喜びは翌日も続く。なぜなら、スポーツ新聞の一面に、自分の記事がデカデカと載るからや。

 だから、翌朝はコンビニや駅の売店に行って、スポーツ新聞各紙を買い漁る。この喜びこそ、代打で生きる原動力やった。ただし、報知新聞は買わん。一面に阪神の記事が出ることは、まずなかったからな(笑)。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。