■「実の兄弟」だと主張した若者を斬首した秀吉
フロイスによると、天正15年(1587年)、一人の若者が豪華な衣装に身を包んだ武士たちを従え、大坂城にやって来て、「関白(秀吉)の実の兄弟」だと主張した。秀吉が母の大政所にその事実を問いただしたところ、彼女が否定したため若者と従者らは秀吉の面前で斬首させられた。ただ、フロイスが記載した内容から察すると、彼は大政所が嘘をついたという前提に立ち、大政所の隠し子について多くの人々は事実で間違いないと考えていたと記している。
さらにこの事件の3、4か月後、尾張に姉妹がいるという話が秀吉の耳に入り、彼女らを京へ呼び寄せ、捕らえて首を刎ねたというのだ。
つまり、若い頃の大政所が性に奔放だった可能性は否定できず、よって以下の仮説が成り立つ。
弥右衛門(妙雲院)の存命中に大政所が竹阿弥と密通して秀長と妹の南明院を生み、他家に預けておき、夫の死後、竹阿弥を婿に迎え、秀長と南明院も他家から連れて来た。
弥右衛門が負傷して療養していたという『太閤素性記』の内容が事実なら、まだ元気なうちに生まれた長女と秀吉の実父であるのは間違いないとしても、その晩年は性生活もままならなかったはず。そうなると、性に奔放な大政所が他の男と密通しなかったとは言いきれず、豊臣兄弟の種違い説が復活してくるわけだ。
跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。