■意地と反骨心が支えた現役生活
聞くところによると、今時は野球選手も、けっこうエゴサをやるらしい。自分の評価が気になるわけや。そして、いいことが書かれてたら励みにし、悪いことが書かれてたら反省材料にする。そんな殊勝な態度の選手もおるようや。
でも、しょせんは名前も顔も分からんヤツの意見やないか。言うたら、暗闇から石を投げるような行為や。そんな連中の罵詈雑言を、いちいち気にせんほうがええと思うけどな。
ワシらの時代はインターネットなんてない。代わりに球場のスタンドから悪口がバンバン飛んできた。そう、ヤジや。甲子園球場や広島球場のヤジなんて、けっこうキツかったで。後楽園球場でライトを守るワシを目がけて、一升瓶が飛んできたしな。
さらに、球場の外に出ても、ボロカス言われることがあった。特にチームの調子が最低で、黒星続きのときや。盛り場をウロチョロしようものなら、ごついヤジが飛んでくる。
「おい、川藤、今日の試合はなんや。こんなところで飲んでてええんか」
「せっかくのチャンスを潰したのは、おまえやぞ。ちっとは反省しろ」
何を言われても、ワシは一人で黙って酒を飲む。やかましいオッチャンのいない高級クラブで酒を飲む余裕もないしな(笑)。それに、タイガースの看板を背負っている以上、ゴタゴタは起こせん。何を言われてもガマンするしかない。
でも内心では、こう思う。
「今日はワシの凡打で負けた。けど、明日はそうはさせんぞ。必ず“さすが川藤や”と言わせたる」
翌日は酒の匂いをプンプンさせてグラウンドに行く。首脳陣は露骨に“こんなときに深酒なんか、しよってからに”という顔をする。当たり前のこっちゃ。
でも、そういう態度をされると、ますますワシのやる気に火がつくんや。
「よ~し、待っとれ。今日の試合でワシの生き方を証明したるわい」
この意地があったから、補欠のワシが19年も現役でプレーできたんや。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。