■引退勧告を断り現役続行を決断

 ワシが胴上げされたんは、まあ、それなりに理由はあった。よっさんと選手との間のパイプ役となってチームを一つにまとめたことを、みんな知っとったからや。

 けど、ワシは優勝の感激に浸りながらも、心の中ではこう誓った。

「このままで終わるわけにはいかん。次はバットで優勝に貢献したるぞ」

 この年のワシの成績は散々やった。代打で31回起用されて、ヒットはたった5本。ホームランはゼロ。打点が6。代打一本に絞って以降、最低の数字しか残せんかった。

 翌日のあるスポーツ紙にはこんな記事も載った。

「あの胴上げは今年限りでユニフォームを脱ぐ川藤へのはなむけだ」

 あほんだら! 冗談やないぞ。いつ、ワシが引退すると言ったんや。

 そうは思ったが、ワシの成績や36歳という年齢を考えたら、マスコミも世間もそろそろ潮時やろうと考えるのは当然やろう。

 オフには、よっさんと3度会って話した。

「カワ、もう終わりでええやないか。やるだけのことをやったんとちゃうか」

 もちろん、これは球団が出した結論でもある。しかし、ワシは納得できん。

「やるだけのことをやったとは思いません。まだ働ける自信があります」

「チームとしてはおまえのことを戦力としては考えとらんぞ。それでええのか」

「戦力としてゼロと言われるなら、そこからチャレンジさせてください。必ず結果を残します」

 こうして、なんとか首の皮一枚つながったわけや。監督の認識を変えるにはゼロから自力で這い上がるしかない。つまり翌年のキャンプ、オープン戦が勝負やった。その話は次回や。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。