浅草キッド玉袋筋太郎が、“昭和オヤジ”としての矜持とユーモアを胸に、同世代にエールを送る人生コラム。ともに令和を生き抜く、イケてる“老Guy”を目指そう。

 今回はギャンブルとの付き合いについて。両親は西新宿で昭和40年代から『麻雀富士』という雀荘を経営していたんだ。

 言ってみりゃ、俺たち家族は一卓一卓で行われてるであろう“賭け金”の上がりで生活していたわけ。

 雀荘で賭け麻雀をやってないなんて言ったら、嘘になるでしょ? ガキの頃はモヤモヤして「ギャンブルなんて絶対にやらねぇぞ」と思ってた。ギャンブルアレルギーだったんだよ。

 芸能界に入って、だいぶたって、たまたま仕事で自転車に乗った。自前の自転車も買ってさ。そしたら、自転車芸人的に扱われてね。

 それがきっかけで、2010年に磯山さやかの競輪番組に呼ばれたの。

 その頃は自転車に乗ってるだけで、競輪のことなんか、まったく知らねえのよ。

 でも、ふざけて賭けたら大当たり。完全なビギナーズラックで40万円も獲っちゃって。ギャラももらったうえに40万円。こんな楽なもん、ねえなと思ったなぁ。

 その後、京王閣競輪場のナイターにも呼ばれたんだよ。「玉袋筋太郎、競輪を語る!」と題してのトークショーを10分、2ステージを任されちゃってさ。

 司会とか、いないの。俺一人。ビギナーズラックの話をしたんだけど、そんなの、5分で終わっちゃった。これはヤバいと思ったね。

 残りの5分、レースの予想を、と言われても勉強してないから展開なんか全然、分かんないんだからさ。大恥かいたよ。思い出すだけで冷や汗が出てくるね。それでギャラもらっちゃうんだから、ヒドい話だぜ。