教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 江戸幕府の勘定奉行・荻原重秀(おぎわら・しげひで)は、猛烈なインフレを引き起こして庶民の暮らしを破壊し、経済を混乱させた――そうした悪評にまみれた男が、実は敏腕だったと再評価されている。

 勘定所下役という下級役人だった父の跡を継ぎ、重秀もそこから幕府の官僚人生をスタートさせるが、才能を買われ、元禄9年(1696年)、勘定奉行に昇りつめた。

 当時は主要国が金本位制を敷き、通貨は同じ価値の金と等価交換できるものでなければならなかった。

 ところが、重秀が勘定吟味役時代の元禄8年に流通させた貨幣は、金の含有量を3分の2に落とした元禄小判だった。その頃には幕府の支出が増えて通貨供給量を増やさないといけなかったところ、逆に金の産出量が減って、必要なだけの通貨を市場に供給できなくなっていたのだ。

 そこで重秀は、小判1枚の金の含有量を減らして供給量(発行枚数)を確保した。

 そんなことをしたらハイパーインフレになりそうなものだが、『勘定奉行 荻原重秀の生涯』の著者・村井淳志氏の指摘によって、実際のところ、11年間の平均で年率の物価上昇率は3%程度にとどまっていたことが分かった。

 現代の日本が年率2%の物価上昇の目標を掲げ、デフレからの脱却を図ろうとしている通り、経済成長を前提とするなら3%の物価上昇はむしろ理想的。

 通貨供給を増やしたことで経済は活況に沸き、また、実際の発行額より金の含有量が少ない分、小判を発行する幕府に出目(でめ)(差益)が生じる。

 金銀合わせて通貨改鋳に伴う幕府の差益は500万両に及び、幕府の財政は潤ったのだ。まさに、いいことずくめ。それなのに、なぜ彼は悪人とされたのか。