■伝説の選手たちを参考に打撃を研究
ワシがプロに入って最初に目をつけたのは、藤田平さんやった。とにかく手首や肘の使い方が柔らかく、バットコントロールは天才的やった。ワシは直接、藤田さんに聞きに行った。
ところが、藤田さんは何も教えてくれん。代わりに、こう言った。
「カワ、1日は何時間や?」
「24時間です」
「それが分かれば、バッティングは変わるぞ」
つまり、1日を、どう過ごすかで技術は向上するちゅうことや。ズボラなワシには目からウロコやった。
タイミングの取り方が下手だったワシは、王さんからも学んだ。そう、一本足打法や。あそこまで足を上げて静止した状態を作るわけやないけど、足を上げることで、うまいことタイミングが取れるようになった。
同じ右バッターの長嶋さんの打ち方は、とてもじゃないけど、マネできん。あれだけ激しい動きをしながら、ボールを呼び込み、芯で捉えるなんて芸当は長嶋さんだから、できる。
もう一人、ワシが参考にしたのは若松勉さんや。当時、ワシが使ってたバットの長さは4(34インチ=約86.4センチ)。一流打者は4か4半(34.5インチ=約87.6センチ)が当たり前やったからな。でも、どうも、しっくりこん。
それで、ある日、若松さんに、バットの長さについて聞いてみたんや。
「カワ、4だとバットを短く持つだろ。でも、3半(33.5インチ=約85センチ)なら、どうだ。グリップエンドぎりぎりに握って振るから、遠心力が増してバットのヘッドが走るぞ」
その通りやった。
もちろん、コーチの世話にもなった。たとえば、球界の名伯楽として知られる中西太さんや。しかし、中西さんは技術的なことは一切、言わんかった。代わりに、こんな提案をしてきた。
「カワ、賭けをしよう。ここでヒットを打ったら、ワシが3000円払う。ホームランなら1万円や。凡打なら、カワがワシに1000円払う。どうや?」
もちろん、ワシは乗ったで(笑)。中西さんはワシの性格をよう知っとるよ。それに「プロの評価は金だ」ということを試合の中で教えてくれたわけで、ワシの大事な師匠やった。
川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。