教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 島津義弘、大友宗麟、そして龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)

「九州ビッグ3」と呼ばれる戦国武将の中でも、肥前11郡のうち佐賀郡を治めるに過ぎなかった龍造寺氏を、鎌倉時代以来の名家である島津、大友に匹敵する勢力へと一代で押し上げた隆信の手腕は高く評価されている。

 通説は彼を「五州(肥前・筑後・肥後・筑前・豊前)二島(壱岐・対馬)の太守」と称し、九州北西部(佐賀県を中心に長崎・熊本・福岡各県)全域を勢力下に置いたとする。その一方、恩人をバッサリ切り捨てる残虐非道の「暴君」と非難される。

 しかし、この通説は、ほぼ江戸時代の編纂史料に基づくもの。その真偽が問われているのだ。

 まずは通説に従い、肥前を平定するまでを辿ってみよう。隆信は享禄2年(1529年)、分家筋の水ヶ江龍造寺家に生まれ、寺に入って僧圓月と称した。何事もなければ、そのまま僧として一生を終えたかもしれない。

 ところが、龍造寺家そのものが主筋の少弐氏に警戒され、隆信の父や祖父らが計略にはまって殺されてしまう。