教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 織田信長が全国統一を考えていなかった――これまで常識中の常識だった歴史解釈が揺らいでいる。

 信長が天下を意識しだしたのは、永禄10年(1567年)、美濃を攻略して斎藤竜興が居城した井口(いのくち)を岐阜と改めたあたりとされてきた。

『政秀寺古記』によると、沢彦宗恩(たくげんそうおん)という禅僧が信長に「(中国古代の)文王は岐山(きざん)に起って天下を定めた。このことをもって岐阜と名付けたら、天下もほどなく手に入りましょう」と言上したという。

 信長は、やがて将来の天下人にふさわしい朱印が必要になると考え、沢彦に銘文も選定させた。そうして有名な「天下布武」の印が誕生する。

 つまり、ここが信長の天下取りの起点であり、布武という言葉と合わせ、信長が「武力をもって天下を取る」という意思表明だとされてきた。