■「岸田ガム噛むな!」の苦言

 他方、オリックスを率いる岸田護監督は、選手時代の実績がある分、三木監督よりは存在感も上。

 リーグトップのチーム打率を誇る強力打線で、首位争いにも食い込んでいる。

 過去にオリックスを率いたこともある監督経験者の伊原春樹氏には、采配以前に、物申したいこともあるようで……。

「去年から言い続けているが、あの品のないガムの噛み方は、なんとかならんか。GMの福良淳一や、私の監督時にマネージャーだった本部長の小浜(裕一)にも直接電話したが、直らない。見え方としても絶対良くないと思うんだけどね」

 では、そんな“見え方”の悪さがもとで、“パワハラ上司”と大炎上中のロッテ・サブロー監督はどうか。

 12日の敵地・西武戦。ピンチの場面でマウンドに向かいかけた年上の黒木知宏コーチの袖を引き、無言でグイとベンチに引き戻した姿は、強権的に映った。

 伊原氏は「監督をやっていれば、シーズン中に、あんな瞬間は、いくらでもある」と、一笑に付す。

「事前に黒木と擦り合わせていた内容を、とっさの判断でサブローが変えた。その際に、口より先に手が動いた。それだけのこと。変えた判断に結果が伴っていれば、ここまで叩かれはしなかっただろうしね」

 伊原氏いわく、西武に圧倒的な黄金時代をもたらした森祇晶元監督も「ベンチでは常に迷ってばかりいた」という。投手交代を告げにダグアウトを出てからでも、「本当に代えるぞ」と振り返って聞くほどだったとか。

「試合中の監督には、それほど負荷がかかるということ。いつもベンチでショボンとした顔をしている、我が古巣の西口(文也)より闘志を感じさせるだけ、サブローのほうが、よほどいいとは思うけどね(笑)」

 そんな西武・西口監督は2年目の今季も、故障者続出で、またも前途多難。

「西口監督は“監督のために”と思わせるような人望が皆無。そこが親分肌だった渡辺久信元監督らとの決定的違いでしょう。某紙の若い女性記者を分かりやすく依怙贔屓しているのも問題(笑)」(スポーツ紙デスク)

 すでに後任監督の名前も取り沙汰されているとか。

「球団内部は、今季で引退を表明している栗山巧(42)の就任に動いているそう。彼ならファンもついてくるはず」(前同)

 まだまだ開幕したばかり。最後に満点の採点表をもらうのは、誰か――。

 

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秦真司(はた・しんじ)
1962年7月29日生まれ。徳島県鳴門市出身。鳴門高等学校から法政大学に進学。84年、大学4年生のときに日本代表としてロサンゼルスオリンピックに出場し、金メダルを獲得。翌年ヤクルトスワローズに入団し、88年に正捕手の座を掴んだ。古田敦也選手の入団後は外野手に転向し、勝負強い打撃でチームに貢献。ヤクルトスワローズが6年間で4度の日本一(92~97年)に輝いた黄金時代に選手会長を務めるなど(93年)中心選手として活躍した。その後、日本ハムと千葉ロッテを経て、引退後は千葉ロッテの打撃コーチや中日ドラゴンズのコーチも務めた。2008年には独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサス監督に就任。読売ジャイアンツでは、一軍と三軍でバッテリーコーチを経験している。

伊原春樹(いはら・はるき)
1949年1月18日、広島県甲奴郡上下町(現・府中市)生まれ。北川工高(現・府中東高)から芝浦工大を経て、ドラフト2位で71年西鉄ライオンズに入団し、内野手として活躍。76年から巨人に移籍したが、78年にライオンズ復帰。80年限りで現役を引退し、翌年から99年まで西武で守備走塁コーチなどを務め、黄金時代を築いたチームの名3塁コーチとして勝利に貢献。2000年の阪神コーチ、01年の西武コーチを経て、02年に西武監督就任1年目でリーグ優勝を果たす。04年にはオリックス監督、07年から10年まで巨人ヘッドコーチ。14年の西武監督など歴任し、通算14回のリーグ優勝、7回の日本一を経験している。